2009年7月10日

都立潮風公園 風に吹かれてぶらぶら歩き

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「ゆりかもめ」で、レインボーブリッジを大きくカールして渡ればお台場、そして
船の科学館前駅。

そこで下車します。

その近くには永久保存展示されている、2艘の船があります。

いずれも過去には輝ける時もあったり、また、これでもかという苦難の道を進んだりと、
さまざまな体験をし、退役して、いま、静かに東京湾に面した小さな港に係留されているのを
見る事が出来ます。


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そのひとつが、この初代、南極観測船 「宗谷」 であります。

このテキストのために 「宗谷」 について、ほんの僅かですが、調べてみた事があります。

南極の砕氷船として広く知られていますが、その歴史は古く、起工は1936年10月のこと。

竣工は1938年6月。退役は1978年10月。戦歴は潜水艦を一艘撃沈とあります。

当初はロシアから商船として発注され、耐水型貨物船として進水しましたが、第二次世界大戦
によって、ロシアに引き渡されず、商船 「地領丸」 と名を付けられ竣工。

そして、日本にとどまることになります

その当時、大量輸送の出来る船を捜していた日本海軍が、持ち主の民間会社から、この
「地領丸」 を買い取り、改造して軍艦籍に入れて、名前も 「宗谷」 と改名されます。

輸送艦として多方面に活躍し、大戦中は北洋に南洋にと進出し、敵の潜水艦一艘撃沈
するなど、また、ミッドウェイ海戦にも動員されたとあります。


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戦後は小樽、カラフト間の引揚船ともなり、多くの引揚げ者輸送にあたり、それが終ると
ふたたび大改造して、のちに南極観測船となってふたたび活躍したのは、よく知られる
ところであります。


誕生以来すでに73年が過ぎ、本来は商船として造られながら、思わぬ過酷な運命を
進むことになる、たぐいまれな船であったことをここで知りました。

それを知ってから、内部をじっくりと隅々まで拝見したいと思いました。

なお、今でも必要とあれば、航行できるのだそうです。

すごい船ですね。


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並ぶようにして展示されているのが、永年、青函連絡船として親しまれてきた
客船 「羊蹄丸」 であります。

青森、函館、113キロを昭和40年から、22年間運行したそうですが、青函トンネル開通と
ともに昭和63年役目を終えて、名船 「宗谷」 とともに、「船の科学館」 わきにひっそりと
並んでいます。


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お台場海浜公園を中心とした、この海沿いの、地域が私は大好きです。

春夏秋冬、四季を問わず、よく遊びに来ます。

特に好きな季節は寒いですが、あの暮れのイルミネーションの時でしょうか。

また、暑い盛りの海浜公園の砂浜あたりも、お気に入りのスポットでもあります。

東京湾を行き交う船を見るのも好きですし、この日は 「宗谷」 の近くに、水産庁の船と
やや大型の 「大成丸」 という、百亜のような素敵な船を、それも、まじかに見る事が
出来ました。


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この日は 「船の科学館」 から、東京湾に面した素敵な遊歩道をお台場海浜公園まで、短い
コースではありますが、久し振りにひとりのんびり歩きました。

途中からは 「都立潮風公園」 を通るようになり、シャレた道、シャレた樹木、素敵なオブジェ
などを見ながらの散策です。


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まだ夏休み前のせいか、どこへ行っても人影もまばらで、静かそのもの。

水辺に遊ぶ小さな子供達の高い声だけが聞こえるばかりです。


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首都高速湾岸道路を、またぐようにして架けられた、「しおかぜばし」 を、渡ると、潮風公園
サニーテラス北、そして、北コーストデッキと呼ばれるところに出ます。

敷きつめたシャレたレンガ造りの歩道には、見る角度によっては、まるで違う物に見える
不思議な作りの白い彫刻もあったりして、また、ここでも少々休みたくなります。


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いま、「都立潮風公園」、太陽の広場では、「機動戦士ガンダム」の特別展示が行われています。

正式な開催は7月11日から、8月31日まで。

これは東京都公園協会などで構成する、ガンダムプロジェクト実行委員会が、都民、企業、行政
とが一体となって、新しいプロジェクトを立ち上げて、そこにバンダイナムコグループも参加して、
「アニメ機動戦士ガンダム放送30周年」を記念して開催されるものです。


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実物大 ? 18メートルという巨大な「ガンダム像」が、すでに見る事が出来ます。

重さ35トン、頭部が動き、体の50ヶ所から光と霧が噴射するそうです。

とにかく大きくざっと見たところビルの4階ぐらいにはなるでしょうか。

現在は11日からの本番に備え出店などの準備を行っているところです。

正式な公開時も無料です。

「ガンダム像」 の、制作費 ? それは秘密だそうです。

「ガンダムプロジェクト」


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「夕陽の塔」 

その名のとおり東京湾を通して見る夕陽の美しさはスバラシイようです。

そこに、ステキな自転車乗りが、ひとり颯爽と横切りました。

そうだ、ここは自転車で来てもよいところですね。

数年前のことですが、荒川SRから新木場、そこからお台場と来て、海浜公園から
水上バスで日の出桟橋に渡って帰ったことなどを、ふと思い出しました。


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日航ホテル、自由の女神と横目に見ながら進んで、お台場海浜公園に到着。

そして、ここは私、お好みのレストランです。

キリン ウォーターグリル

アクアシテイお台場の5階にあり、目の前のレインボーブリッジを一望出来る、広い
オープンデッキがステキです。


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まずは今日の無事を祝して、ひとり乾杯です。

ビールってこんなに、うまいものなのって、本当に思わせるお店です。


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昼間に来ればお手頃なランチがおすすめ。

今日のオーダーはパスタランチ。  980円。

前菜として冷たい、パリパリ野菜たっぷりのフレンチドレッシングのサラダ。

そして、エビなどのシーフードたっぷりのトマト仕立てのパスタ。

ゆっくりくつろいで、最後はこれもうまいコーヒー付。


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ランチタイムも終わり頃だったので、店内はディナーの時間までひとまず静かです。

お店の飾りも海のイメージを取り入れて、さすがキリンビール直営店らしい品の良い
調度品、そして、その配色のよさが引き立ちます。

夜もイルミネーション輝く頃、レインボーブリッジを眺めながら、カクテルなどを楽しむのも
これもまた、とてもステキです。


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すっかり曇ってきたオープンデッキ。


東京って、やっぱり最高に面白い所だと思います。

東京には無限の遊びがあるような気がします。

それも、それ程、お金を掛けなくても、そこはアイデア次第で、本物の面白さを味わうことも
出来るのです。

私は、やっぱり東京が一番好きです。


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2009年5月25日

新緑の蓼科高原散策

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5月18日、19日と、仕事仲間と長野県は蓼科高原に行ってきました。

総勢21名の大人数です。

企画から宿の手配、計画、スケジュールとすべてひとりで行うわけで、ここにきて、
さすがに少々疲れも感じてきています。

今までに各地を随分遊び回りましたが、やっぱり好きな所と云えば、この長野県で、
なかでも、ここ八ヶ岳周辺が、特に私の気に入っている所であります。

若い頃から山登りに熱中していましたが、それも多くは北八ヶ岳を中心にしてよく歩いた
ものでした。

それが高じて終いには何とかして、この八ヶ岳近辺の地に自分の足跡を残したいものと
思うようになり、今から30数年前になりますが、八ヶ岳南麓の編笠山中腹、1250メートルの
富士見高原の土地を長野県から購入し、それこそ本当にささやかですが、プッポロという名の
「山小屋」 を建てたのでした。

それ以来、今ではここ信州が、私の第二のふるさと、とも思っています。


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今回のホテルは白樺湖から北に4キロほど入った所にあります「女神湖」のほとり、
「アンビエント蓼科」であります。

標高1500メートル。

樹林に覆われたなかにあり、実に環境の良い所にあります。

地元の別荘地の不動産会社から始まった、この泉郷というリゾート会社も歴史も古く、
設立してから30数年以上のキャリアを持っています。

リゾートマンションを大型ホテルとして運営しており、今では「アンビエント安曇野」、ここの
「アンビエント蓼科」 そして、「清里高原ホテル」 と、その他、いずれも素晴らしいホテルを
提供しております。


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2日間とも素敵な好天に恵まれ、目の前に広がる 「女神湖」 の、それはきれいなこと。

一周、徒歩で30分から40分で回れる手軽さもスバラシイです。

そして隅々まで静か。

眼前には蓼科山も望め、附近は自然そのままで本当に良い所に位置しています。


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わずかに観光地かなと思わせるのが、このボートハウスぐらいで、白樺湖のあの遊園地化した
所とは雲泥の差です。

湖面には水上サイクリングと称して二人でぺタルを踏んで水上を走る。

何とも面白そうなボートでしたが、時間がなく、それはまた次回のお楽しみです。


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行く前日はこの地方では、気温が10度前後だったとか。


「女神湖」の湖畔の周りでは今、山桜がなんと満開なんです。

年間を通して気温30度を越す事がないといわれ、この辺のホテルにはクーラーがありません。

東京で言いますと、今は4月上旬の気候かと思われます。


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このホテルの近辺には良く整備された散歩道がたくさんあり、ウォーキングに、ジョギングにと
素敵なコースが揃っています。


翌日はホテルから徒歩で約15分ほど歩き蓼科牧場に行きました。

そこからはゴンドラリフトで一気に1830メートルの蓼科山の7合目に到着します。

約5分の乗車で山頂駅。

降りた所が、「御泉水自然園」という所です。


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案内板にしたがって園内の散策をするのですが、高山植物園あり、風情ある長い木道を
歩く一面の湿原地帯ありで、なんと総面積169ヘクタールもある、広大な原生林を、のんびり
歩くのも時には面白いものと思ったものでした。


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ケーブル山頂駅から女神湖を見る  22.5㎝×15.5㎝  絵 プッポロ


ひと回りしてふたたびゴンドラで下るのですが、その山頂駅j前の広場からは 「女神湖」を
中にして湖の右側に今回のホテルが見られ、遠くには北アルプスの連峰が、右奥には
妙高高原の山々が見られます。

今回の参加メンバーには写生会の方々も多く、わずかな時間でしたが、思い思いに
一枚のスケッチもしてみたものでした。

私もみなさんのお相手もしながら、素早くそれこそ10分ほどで描いたのが上のスケッチです。


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蓼科山  22.5㎝×15.5㎝  絵 プッポロ


御泉水自然園での木の橋のたもとから描いてみた蓼科山で、これはまさにラフスケッチ。

およそ5分の仕上がりでした。


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女神湖から蓼科山  33㎝×24㎝  絵 プッポロ


このスケッチはホテルの前で描いたもので、女神湖がほんの少しのぞいています。

野外ではいつでも時間が限られ、ある程度の早描きが要求されます。

F4号というやや大きめのスケッチブックで、これはそれでも20分ぐらいはかかったでしょうか。

写真もいいですが、この目でしっかり見て描いたものは何年たっても、その描いた時の
情景が思い出せるものです。

風が強かった時、凍えるほどに寒かったこと、目まいがするくらい暑かった時と、それぞれに
その絵を見るたびに細かなことまでリアルによみがえるものです。

楽しければ、絵の出来不出来はまったく関係ないものと自分だけは思っているのですが・・・・・・

さて、面白かった2日の旅、みなさんも素敵な絵がまた増えたようであります。


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2009年2月27日

早春の鎌倉ひとり歩き

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晴れたり曇ったりの先日の鎌倉は特別、寒い日でした。

花粉症持ちの私としては、杉の多い鎌倉は鬼門に位置するとこですが、よんどころ
ないことで、マスクをしっかりしての、何ともカッコ悪い鎌倉散歩でありました。


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鎌倉駅に着いたのが午前10時22分。

おなじみの小町通りは、まだ開けてない店もちらほらとあり、観光客もまだこれからと
いうところでした。


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鶴岡八幡宮の境内に入り、右手にある源氏池を赤い橋で浮島に渡ると、瀟洒な旗上
弁財天 (はたあげべんざいてん) が、祀られています。

浮島の周りには、願い事が書かれた白の、のぼり旗が、所狭しと立てられ信者の多い
ことを伺わせています。


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その、わずかな境内には、いま、河津桜が見頃を迎えています。

やや濃いめのピンクの花がとてもきれい。

ヒヨドリ、メジロが、交互にやって来ては花のミツをとっています。

写真の小さな鳥影はメジロでありますが・・・・・・・・


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ハシビロガモとオナガ


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ヒドリガモ


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オナガガモのオスとメス


この源氏池にもわずかですが、冬鳥が来ています。

ごく普通にどこでも見られる鳥ですが、以前、日本野鳥の会でここで探鳥会を行った
ことがあります。

もう、随分前のことになりますが、この池では、その当時、カワセミも見られたものでした。

今回は短い時間でしたので、カワセミは見ることはありませんでしたが、さて、最近は
どうなのでしょうか。


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白旗神社


その源氏池から北に通じる静かな道を行きますと、正面にこの白旗神社が見られます。

神社には珍しい黒塗りの社殿です。

源頼朝と実篤を祀った神社であります。

参道から、一本、道をはずれただけなのに、ここはほとんど訪れる人もなく、静かな森に
囲まれた、その雰囲気は壮厳そのものです。


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その社殿のわきにある小さな静かな池、名を柳原池というのだそうです。

八幡宮に向う参道の人々のざわめきが聞こえ始め、いま、鎌倉にいることをあらためて
気ずかせてくれます。


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その池を過ぎますと鶴岡八幡宮の会館があり、隣接して柳原休憩所というのがあります。

休憩所内にはたくさんの椅子テーブルが用意され、大きなガラス窓ごしに、いま通ってきた
静かな池も望め、なかなか景色の良い休み所であります。

とけにくいソフトクリームとあり、よその人につられて、私もひとつ買ったものでした。

その窓の外に咲くヤブツバキ、いま、とてもきれいです。


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舞殿と八幡宮


歌舞伎、「義経千本桜」で知られる静御前。

その静御前が、いとしい源義経を慕って舞を舞ったいう、若宮回廊跡に立つ舞殿の朱色も
艶やかにあたりを彩ります。

たしか、数年前に大改修されたように記憶していますが。


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鎌倉大仏


鶴岡八幡宮がら数分、若宮大路に面して、中華料理の名店 「鎌倉山下飯店」 で、
人気の「おすすめランチセット」を、うまい生ビールと共にゆっくり、ひととき楽しんだものでした。

さて、後半はふたたび鎌倉駅に戻ります。

丁度、大仏方面に向かうバスが目の前にあり、わずかな時間で鎌倉大仏前に到着です。

鎌倉大仏の名で知られていますが、高徳院という寺院のご本尊であります。

国宝であり、銅造りの阿弥陀如来坐像は、1252 (建長4) 年から、10年前後の歳月を
かけて造られたようです。

ところが、この大きな大仏を、いったい誰が何のために造られたのか、いまだに良く
わからないという、多くの謎に包まれた、なんともミステリアスな鎌倉大仏であります。

そういうこともあってか、なお一層興味津々、人々の心を引きつけるのかもしれません。


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長谷寺 山門


大仏様より歩いてわずかで鎌倉長谷寺です。

奈良時代の天平八年 (736) 開創と言われますから、かなり古い寺院で、鎌倉でも
有数の古刹として広く知られております。


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花のお寺としても有名で、境内には、ここにも河津桜が満開を向かえ、また、放生池を
中心にした美しい庭園も大きな見どころです。

それを取り囲むようにして、観音堂には、ご本尊、木造「十一面観音」像あり、石段脇には
無数のお地蔵様が祭られていたり、阿弥陀堂、弁天堂、弁天窟などがおかれています。


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フクジュソウの花


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ボケの花


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マンサクの花

経蔵のわきにある、フクジュソウの花にボケの花。

そして、花の少ない時、その春にさきがけ、まず咲く、と、いうことから名の付いた
マンサクの花。

どちらもとても、きれいでした。


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ひと回りして、少々疲れも出てきました。

境内の南側、相模湾に面した高台からの眺めは、まさに絶景で、鎌倉随一とも
いわれています。

その展望台には椅子とテーブルがあり、かたわらには飲物の自動販売機が、ほどよく
置かれ、まずここで、ほっとひと息です。

何度訪れてもいいのが鎌倉。

名刹めぐり、花めぐり、どこを歩いても絵になる所ばかりです。

この日もスケッチの用意はしたものの、この花粉症では、それどころではありませんでした。

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2008年10月27日

安曇野「碌山美術館」に行く

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紅葉の始まったばかりの安曇野に行ったのは一週間前のことです。

近頃の天気の定まらない中にあって、珍しく向うに行っている間は快晴続き。

この安曇野にはどうしても行ってみたい所が私にはあったのです。


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穂高駅から大糸線の線路沿いを、有明方面に7分ほど歩くと、赤くなったツタに
包まれた、この「碌山(ロクザン)美術館」があります。

まわりには大きなケヤキもそびえ、青い空とケヤキの初々しい紅葉とのバランスが
信州の秋を華やかに彩ります。


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地元ではこの安曇野の紅葉は、まず、この碌山美術館のツタの紅葉から始まる
とも云われているようで、この美術館がいかにこの地方にとって、大事にされているか、
親しまれているかが、わかろうというものであります。


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美術館全体はそれ程大きな敷地を持っているわけではありません。

ごく自然のままに木立を生かし、それは整然とした庭園の趣というよりも、
自然のままに思いのままに木々が生い茂っていると言う感じで、見るものに
とっては、それはとても気楽で手軽な、良い雰囲気を味わう事ができます。

杜江の水。

モリエの水。

穂高の地下水といわれ、絶えることなくそそぎ続けています。

飲用水とのことで飲んでみましたが、その水の冷たいこと。

この水で私の好きなコーヒー「ジンバブエ」を入れてみたいと思ったものでした。


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碌山美術館の碌山とは、この美術館の主人公の名で、本名は萩原守衛。

明治12年12月1日生まれ。

そして、明治43年4月22日、31歳で亡くなっています。

若い頃から病弱のようで、特に心臓に障害があったようです。


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安曇野の農家の五男として生まれ、家業を手伝いながら、ある日偶然目にした
一枚の油絵にひどく感化されて、その画業の道を進むようになります。

22歳で絵を学ぶためにアメリカに渡り、また24歳の時にはパリの美術学校に
通ったりもしますが、そこで運命の出会いとでも云うのでしょうか、ロダンの彫刻に
強い衝撃を受けて、それ以来、今度は彫刻の世界に入っていくことになります。


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パリでは、その後もロダンとの交流を深めつつ彫刻に専念し、また、その頃から守衛は、
自ら碌山と名乗るようになります。

これは私の想像ですが、ロダン、ロクザン。この辺からきているのではないかと
思うのですが。どうでしょうか。

イギリス、エジプトと古代彫刻などを見て回り・・・・・・・・

それが明治37年から明治40年ごろにかけての事で、これはかなりの資産家で
無くてはできないこと。

次兄からの支援が大きかったようです。


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明治41年、29歳で帰国し、数々の作品を発表もし、受賞もし始めた矢先の明治
43年4月22日、30歳5ヶ月の若さで亡くなります。

場所は新宿中村屋の上にあったアトリエとのことです。

22歳でキリスト教に入信し洗礼を受けています。

地元の大勢の人々の協力のもとに、後に、このような素敵な教会風の美術館が
建てられたものであります。


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この安曇野からはどこからでも、北アルプスの名峰、蝶ヶ岳、常念岳、大天井岳
(おてんしょう)、そして、この有明山、別名安曇野富士が見られます。


東京ではもうすっかり終ってしまったコスモスが、安曇野では、いま、真っ盛りです。


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2008年10月 8日

深川界隈 清澄あたり

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永年愛用している能率手帳のメモにも、この天気の悪さ続きは、今年の4月のなかば
頃からと自分でも書いています。

最近でも3日と晴天が続かないことが多く、度々予定していた自転車ツーリングも
何回と無く雨にたたられその都度無念の思いをしています。

昨夜来からの雨も朝になっても、まだ降り続き、それでも午後からは曇りという天気予報を
半信半疑の気持ちで聞きながしながら、思うところあって、深川は門前仲町から清澄、
森下町と歩いてみたのでした。

大江戸線門前仲町駅から歩いてわずかな所にある成田山新勝寺の別院、深川不動の
参道に入ります。

普段なら大変な賑わいのある所ですが、やはり雨には勝てずで、どこも森閑とした
静けさです。

でも、逆にそれが普段味わえないこの街の、本当の素顔が見られたような気もしたのでした。


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富岡八幡宮。

この門前にあることから、この地域を門前町、そして門前仲町とか。

寛永4年、(1627) の創建といわれ、かなりの歴史のあるお宮さんで江戸最大の八幡様
として信仰を集めています。

雨の日にもかかわらず深川不動と同じように、ここでも、若いスーツ姿の男性の参詣者を
よく目にしました。

熱心に祈る姿に、世の中無神論者ばかりではないとあらためて思ったり、若い世代の
人達も、まんざら捨てたものではないと見たものでした。


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本殿右側を下って行きますと、この横綱力士碑が見られます。

建立は明治33年。

この碑の石の重さが何と約20トンと表示されています。

この富岡八幡宮では貞享元年(1684) の時、 幕府の公許のもとに初めて勧進相撲が
ここで行われて、それ以後、年に二場所の相撲興行が定期的に開かれ江戸勧進相撲発祥の
地として広く知られるようになったと紹介されています。


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樹木に覆われた境内の細道を行きますと、朱塗りの橋と、うっそうとした茂みの中に
静かな池が見られます。

地元有志によるものでしょうか、小さなお宮さんも品良く祀られ、ここではあの表通りの
喧騒と賑やかさとは別世界の静けさがここにはありました。

秋の雨も今日は予報どおり、ようやく傘も要らないくらいの霧雨になってきました。


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門前仲町駅前に戻り、今度は清澄通りに出ます。

その道を北に向って首都高を越えるとすぐに深川一丁目、その角にありますのが、
法乗院の深川閻魔堂であります。

華やかな朱塗りの外観は新しいですが、寺院の創建は寛永6年とのことです。


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このえんま堂は数多くの江戸の文芸物にも書き表され、また芝居にも度々登場して、
なかでも歌舞伎「髪結い新三」での、「えんま堂の場」は名場面として知られるところです。

お賽銭を入れますと、えんま様から一言メッセージがいただけるのも何とも面白いです。


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清澄通りを、なおも北に進むと右に心行寺、やがて仙台堀川を渡ります。

両側は延々と続く桜並木で、春先の賑わいが目に見えるようであります。


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その川を渡って、ほんの少々行くと左に清澄庭園、右に江戸資料館へと行く道が出てきます。

ケヤキ並木も美しく、しっとりとした街並みは、左に大きな霊巌寺、右には瀟洒な出世不動尊と
この辺りも神社仏閣の賑やかな所です。


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江東区深川江戸資料館。

地下鉄半蔵門線、大江戸線。清澄白河駅下車、徒歩3分。

9時30分~16時30分。 第2 4 月曜日休。 入館料 大人 300円

小劇場では音楽会、小芝居、時折落語会も行われています。


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天保年間(1830~1844) の深川佐賀町を想定して、建物、室内そして生活用具を
そのままに再現されています。

静かな館内には時々犬の遠吠えなども混じり、そこに物売りの声も、どこからともなく
聞こえてきて、それに合わせて照明、音響効果を交えて江戸時代に紛れ込んだかの
ような雰囲気を見事に出しています。


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大きな白壁に映し出されるのは、夜明けの明かり、昼間の光、そして夕暮れと一日を
25分で変化し現しています。

火の見櫓に屋台のそば屋、そこに一本の柳と夕やみが・・・・・・・

まさに歌舞伎の舞台に佇む思いであります。


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その夕やみもせまる頃、「おぼろ月」の出であります。

難しく書けば朧月ですが、ここはやはり、「おぼろ月」とやさしくいきたいところです。

このぼんやりとした「おぼろ月」は水蒸気によるもので、それによって柔らかく霞んで見える
わけで、春の夜の特有の月のものであります。

雨降りの多いこの頃では、たとえ芝居がかった月であっても、なぜか、ほっとしたものでした。


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しばしの江戸情緒を味わったあとは、そのお向かいにある江戸の豪商 紀伊国屋文左衛門の
屋敷跡といわれる清澄庭園を覗いてみました。


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ここは明治期になってから三菱財閥の岩崎家の所有となり、泉水、築山、枯山水を
主体とした「回遊式林泉庭園」というのになったそうです。


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大小の島が浮かぶ池を中心にして、その廻りには全国各地から集められた大きな
奇岩名石をめぐらし、まさに石の庭園ともいえそうな名園であります。


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23㎝×16.5㎝  絵 プッポロ


ファバーカステルの小さめのスケッチブックを広げたのは、午後4時過ぎ。

池に浮かぶ涼亭とそれを囲む森の緑、約15分ほどで描いた軽いスケッチです。

ご近所の方でしょうか、手軽な服装の年輩の男性がふと足を止めて、「精がでますね」と・・・・

そんなに云われと恐縮しくするばかりです ・・・・・


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アオサギ。

もうすっかり馴れてしまっているのでしょうか、少しずつ大きな石の上を進んでいくのですが
彼はびくともしません。

本当に近ずきました。

それでも平気です。

時々目が合うのですが、突然プイと 上を見上げて遠い目をします。

フーン !! なんと さすがは 深川のアオサギです。


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清澄庭園の近くにある小名木川、その万年橋を渡ると、「芭蕉庵 史跡展望庭園」が
あり、そこからは素敵な隅田川と清澄橋の景観が望めます。

雨もすっかり上がってわずかですが、夕焼けすら見えてきました。

満々とたたえる隅田川、この橋の先が隅田川大橋、永代橋、そして相生橋と続いて
まもなくで海にそそぎます。

秩父の深い山合いから始まる荒川から、そして隅田川へ。


長い流れをたどって流れ流れて、今は粋な深川界隈 清澄あたりであります。


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2008年7月19日

東京散歩 代官山から恵比寿ガーデンプレイス

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「散歩の達人」という月刊誌があります。

毎月地域を決めて、その地域のさまざまな情報、それは観光地であったり
グルメでもあったり、各種多様の見どころを紹介しています。

手頃な値段もあってか、発行部数もなかなかいいようであります。

また、それとは別に、「散歩の達人 エリア版 MOOK」 シリーズというのが
あります。

こちらは月刊誌ではありませんが、内容がもう少し濃くなり、より詳しくなって
いるようです。

ところで、この春から初夏にかけて、このMOOKシリーズが、相次いで三冊発売されました。

「鎌倉 江ノ電 完全案内」 「ザ、日帰り散歩」 「ザ、東京散歩」 の三冊です。


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三冊まとめて買ったなかでは、身近でもあり、思い立ったらすぐにでも行ける、
「ザ、東京散歩」 が、面白いです。

20数コースが紹介されていますが、今回はその中から時代の最先端を
ゆく「代官山から恵比寿ガーデンプレイス」の、コースを先日歩いてみました。

東急東横線、代官山駅をでますと、駅前からすでに、普通の街とは違った
生活空間がそこにあるように感じたのでした。

といって、超近代的な街並みであっても、すぐそばには、隣り合わせのように
佇んでいるのが 「かまわぬ」 と、いう名の小粋なお店であります。


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およそ店内には200種ほどの手ぬぐいがあるそうです。

お店の名もしゃれていて、草を刈る鎌の絵をあしらい、そして一筆で丸い輪を書き、
その下に、ぬの字をおいて、「かまわぬ」。

江戸時代に流行した 「判じ絵」というのだそうです。

ゆっくり見せていただき、一枚買ってきたのが、この手ぬぐいで、紺色で大名行列を
あしらい、地は薄茶色のものです。

バンダナ代わりに頭にかぶっても良さそうです。

この手ぬぐい、一枚 945円でした。

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紹介されていた通りのコースを歩いてみようと思います。

旧山手通りに出て、次は西郷山公園に向います。

代官山アドレス、代官山ヒルサイドテラスに代表されるこの街も、昭和43年から
30数年をかけて、普通の住宅地だったのを、ものの見事に、今や流行の発信地の
街に変身させたのでした。

アイデアのよさ、また、そこに住む人々の協力あっての事と思いました。


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代官山駅から、距離にして約400メートルほど行きますと、樹木に囲まれた
西郷山公園に到着です。

西郷隆盛の弟、従道の別邸を整備した公園で、昭和56年に開園と、この本に
紹介されています。

正面には大きな芝生広場があり、その向う側は眼下に緑の樹木を通して、
目黒の街並みが見渡せる、その展望の良さがとても素敵です。


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回遊式の遊歩道を降りていくと、目の前に滝が現れます。

落差20メートルの滝も作られていて、山深い自然そのものの風情を楽しめます。

炎天下にもかかわらず、ここでは木陰と水の響きで、しばし涼んだものでした。


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「西郷山公園から目黒の街並み」 23㎝×16㎝


ぐるっと回るようにして、ふたたび芝生広場にもとります。

照りつける日を浴びながら、景色の良い目黒の街並みを、一枚スケッチ
してみました。

小型のスケッチブックは、ファバーカステルのもの。ドイツ製。
純白で発色も良く薄手ながら淡彩にはもってこいです。

水彩絵具は今回初めて使う、ウィンザーアンドニュートン。イギリス製です。

約 15分ほどの楽しみでした。


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エジプト大使館


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西郷山公園から、旧山手通りをもどります。

エジプト大使館、デンマーク大使館などが建ち並んだ素敵な道を歩きます。


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その途中にあるのが円墳。

古墳時代末期 6~7世紀に、この地に北塚と南塚の二基が築かれたそうで、
ここにあるのが猿楽塚と呼ばれる北塚で、高さ5メートル、直径20メートルあるそうです。


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代官山交番前をすぎ、大きな交差点、鑓ヶ崎を恵比寿ガーデンプレイス方面に
向います。

JR線をまたぐ、アメリカ橋を渡れば、目の前には超高層ビル群が連立しています。


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その恵比寿ガーデンプレイスでは、いま一番の人気スポットは 「恵比寿麦酒記念館」
であります。

地名にもなったエビスビールの製造工程、歴史などを、目にも鮮やかなデスプレィで
見学しながらひと回りして、そして、いよいよ、お目当てのビールを楽しむ、ティスティング
ラウンジに到着です。

エビスビールや限定ビールが各種用意されていて、200円から楽しめます。


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その中でも小カップながらも、4種類の生ビールが味わえる「飲みくらべセット」
400円が人気です。

ワインも数種ありますが、ビールの希望が圧倒的に多いように見えました。

どれも注文ごとにスナック一袋付きというのも、シャレています。

ちなみに私は「飲みくらべセット」を、お代わりしましたが・・・・・・


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丁度よい、ほろ酔い気分で、夕方の風に吹かれるガーデンプレイス。

どこも、ここも、本当にきれいです。


思いがけなく見つけた、今回のこの散歩コースは、「ザ、東京散歩」からでしたが、
これは歩くばかりでなく、自転車散歩コースとしても、とても面白いと思います。

その他のコースも、今度は自転車で回ってみょうかなと思っています。

きっと新しい発見が、また、ありそうです。

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2008年7月15日

秩父札所スケッチめぐり その一

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浅草生まれの私としては、第二のふるさとを選ぶとすれば、それは今までにも
数多く出かけている秩父かもしれません。

もう、十数年も前になりますが、秩父の札所めぐりのかたわら、スケッチを
しながら歩いた事がありました。

でもその時は特別信心深い札所めぐりをしたわけでもなく、ただたんに、絵の
モチーフとして、秩父のお寺さんを選んだに過ぎなかったのでした。


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遠い昔の話ですが、その時はたしか5番か6番あたりまでをスケッチして、
あとは多忙ということで、そのままになってしまいました。

3年ほど前になりますが、私のサークルで歩いて札所めぐりをした事が
ありました。
事前にひとりで下見をするわけですが、その時は小型のスケッチブックを
持って行っては、時間があるときは描いてみたりしていました。

描いたといっても、それはほんの数枚にしか過ぎませんでしたが。


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ところで、この半年ぐらい前からでしょうか、やっぱり大変だが今度こそ
秩父の札所を、全部通して描いたみたいなと思うようになってきたのです。

数ヵ所のお寺さんは描いてありますが、ここにきて、それにつぎたしをするのではなく
新たに気持ちも一新して、一番から34番まで描いてみようと思ったのです。

梅雨も明けきらない昨日のこと、まずまずの曇り空に期待して、BD-1を供にして
出かけてみたのです。


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秩父札所 第一番 「四満部寺」  38㎝×28㎝ 


まず手始めに西武秩父駅から、7キロほど先の札所一番、「四満部寺」に行き
これを描いてみました。

折から太陽が激しく照りつけ、こちらの住職さんも出てこられて、「この暑さで大丈夫
ですか」と、声を掛けて下さいました。

十数年前の時、やはりここのお寺さんで、スケッチをしている時、絵が終ったら
お茶を飲んでいきなさいと云われ、縁側でひと風の涼しさの中で休ませて
頂いたことを、ふと、思い出しました。

さて、絵の方はといいますと、ある種の期待が大きすぎたのか、緊張しているのか、
自分でも気がつかないうちに手に力が入りすぎ、スケッチの線が固いです。

平常心を心がけているつもりでも、難しいものです。


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その一番の「四満部寺」に感謝をしながら、ふたたびBD-1を走らせて、今度は
二番の「真福寺」に向います。

山道を進むこと、1.4キロの登りは、今度が4回目ですが、いずれも徒歩でした。

自転車では、今回がはじめての登りであります。

徒歩で約45分の登り、結構きつい坂道です。

今、あじさいが見頃で、ところどころにキスゲも見られたりと、初夏から真夏の花々
が、とてもきれいでした。


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秩父札所 第二番「真福寺」は、無人のお寺さんであります。

納経は南西に下ったところにある光明寺で受け付けるとあります。

山深い中にひっそりとした佇まいが、とてもよく、何度訪れても良い所です。

それにしても、今回のご開帳は、7月18日で終りですが、どこも静かでした。


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秩父札所 第二番 「真福寺」  38㎝×28㎝


狭い境内の一番隅っこに陣を取り、BD-1のサドルにスケッチブックを広げます。

このサドルの高さが、なんとも丁度いいのです。

立ったままになりますが、イーゼルを持参しなくてもいいのが、しても助かります。

物音ひとつしない静かな中で、無心になって線を描いていく。

時折、「こんにちわ」と、声を掛けられて本堂に向う人がいます。
それも20才台と見られる若い女性のひとり旅が、この日もとても目につきました。

鐘をひとつ打っては、熱心に祈る姿に、まだお若いのに、あなたは何を祈ったのって
ちょつと聴きたい思いでした。

肝心のスケッチは、これもまた、肩の力が抜けていません。

本堂より右の大きな石灯籠の方が力作かもしれません。


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描き終わって、途中で買ってきたコンビニのおにぎりで遅い昼食にします。

絵を描くって意外とおなかがすくものです。

別に大して力仕事でもないのに、とても不思議です。


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時間は午後3時50分。

もうひとつ、3番も描けるかなと思ったのですが、ここは無理をせず、次に期待して
帰ることにしました。

その帰りの速いこと、山頂に建つ2番「真福寺」から、西武秩父まで何と30分たらずで
到着でした。


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秩父札所総開帳の駅の、のぼりもこれが見納めです。

今回のこのご開帳の間には、私にも思わぬめぐり合わせがありました。

秩父を介して人と人との新しいつながり、これからも大事にしていきたいと思います。

札所スケッチめぐりも、月に一度行く予定ですが、そのたびに2枚程度では、いつ
結願することやら、でも、楽しみはあせらず、あわてず、無理をせずが、いいのかも
しれませんが。


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2008年1月17日

東京下町散歩 上野界隈 谷中街歩き

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私がやっているクラブ 「小さなハイキング」、今年、最初は、「東京下町散歩
上野界隈 谷中街歩き」と題して来週行われます。

予定参加者全21名。

山登り、街中歩きにかかわらず、すべて下見をしている私ですが、今回もご多分にもれず
やはり先日、このコースを歩いてきました。


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まずは上野駅は公園口を出て、信号を渡れば、普通は文化会館と西洋美術館前を
まっすぐに行く所ですが、今回は珍しい彰義隊の記念碑、そして、清水観音堂を拝観
しながら不忍池に向うというコースをとっています。

赤いお堂が目立つ、清水観音堂(きよみずかんのんどう)。

京都にある清水堂をまねて造られたもので、ここの近くにある擂鉢山から、元禄
11年 (1698) 現在の所に移されたという国の重要文化財であります。

また、ここの子育観音は子宝授けで信仰を集め、願いが叶ったお礼にお人形を
奉納する慣わしが古くからあったとのことです。

京都と同じ清水の舞台もあり、そこから望む不忍池も木々の間からは、すがすがしく
望めるというものであります。


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お馴染みの弁財天を祭る不忍池の弁天堂は、昭和20年の戦災で焼け、昭和33年に
再建されたもの。

また、弁天様は谷中七福神のひとつで、広く人々に親しまれ多くの信仰を集めてもいます。

後ろを振り返れば、今、降りてきた赤いお堂、清水観音堂が、頭上に望まれます。


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オナガガモ、キンクロハジロ、マガモのいずれも♂。


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ヒドリガモの♂。

餌を与えないようにの注意書のせいか、本当にカモ類を中心にして、この不忍池から
鳥たちが少なくなりました。

渡り鳥たちの肥満化が進み、渡りに支障をきたす、今まで考えた事も無かったことです。
これを機会に動植物の生態系にも、大いに関心を持ちたいものと思ったものでした。


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中国料理の名店「東天紅」。

今回は年の始めもあって、こちらでバイキングによる賑やかな「新年会」を予定しています。

以前にもお世話になった「東天紅」、30種類あまりの料理もなかなかの好評でした。

フロントでの当日の打ち合わせ。

下見の中でもここが一番重要なところです。
頭を低く丁寧に、ひたすらお願いする。
そしてこちらの希望を通していく。

今回もバッチリです。


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その「東天紅」の前に広がる不忍池。

一周約2キロとか。

かっては江戸湾 (東京湾) の水が入り込んでいた名残の池。

資料によりますと、上野の山の寛永寺を、比叡山延暦寺に見立てた天海僧正が、
不忍池を琵琶湖になぞらえて竹生島の代わりに弁天島を造らせたものとあります。

江戸時代からハスの名所として、また月見の名所としても知られ、入り口に出会茶屋も
並んで、大いに行楽客がその当時から賑わっていたようであります。


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五条天神社。

不忍池から再び上野の山に登ります。
その登りつめた所にあるのがこの五条天神社。

五条天神社は、亀戸天神、八王子の谷保天神社とともに江戸三大天神社のひとつ。

谷保天神社は郊外にあり参詣途中で、日が暮れてしまうので野暮天神とも言われ、
野暮天の語源にもなったと言われます。

病気平癒、学業成就、医学の神様。
薬祖師として信仰を集めた神社といわれています。

下見の時はご覧のように、丸いしめ縄が飾られ、参詣者はその中を八の字に渡り歩く
という珍しい光景を目にしました。


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すぐ右隣にあるのが、花園稲荷神社。

祀られた年月日は不明だそうですが、古くからこの地にあり、忍岡稲荷が正式名とか。

石窟の上にあったことから、俗称穴稲荷とも云われる。
承応三年 (約340年前) 天海大僧正の弟子、晃海僧正が霊夢に感じて廃絶していた
お社を再建し、上野の山の守護神としたそうです。

明治6年に現在の花園稲荷神社に改名とあります。


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「時の鐘」を通りすぎ、上野精養軒前を少しだけ北に進むと、上野の山を代表する
東照宮の山門が見えてきます。

参道には左右に石灯籠が立ち並び、かなりの昔にここでスケッチをしたことを懐かしく
思い出します。

左手には「冬のぼたん」を、2月下旬まで開催中。

藁囲いの中で可憐に咲くぼたんの花。

ここもみなさんをご案内したい所です。


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ご存知の通り東照宮は徳川家康公を祭る神社で、慶安4年 (1651) 家光の時に
現在のような豪華な社殿につくり変えられたものです。

200円の拝観料を払って神殿のなかを歩いてみます。

そこには実際に家康が着用されたという鎧兜などが整然と並んでいて、中でも私の母が
好きだった ? 家康の御遺訓は、不思議なもので今でも私はすらすらと出てきます。

゛人の一生は重荷を負て 遠き道を行くが如し
 いそぐべからず

 不自由を常とおもへば 不足なし
 こころに望おこらば
 困窮したる時を思ひ出すべし

 堪忍は無事長久の基 いかりは敵とおもへ
 勝事ばかり知て まくる事しらざれば
 害 其身にいたる

 おのれを責めて 人をせむるな
 及ばざるは 過ぎたるよりまされり ゛ 

 
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旧寛永寺の五重塔。

今は動物園の敷地内になっています。

そして、東照宮とともに国の重要文化財に指定されています。


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さて、上野の山を、ひとめぐりしたあとは、芸大前を通り過ぎ、歴史と文化、知性と伝統
が今に残る、谷中の街をご案内。

ひっそりとした骨董品のお店。

普通のお宅と思ったら、なんと小さなレストラン。

家族で手づくり谷中せんべい。

お風呂屋さんみたいな美術館。

何屋さんか良く判らない愛玉子。

隣から隣りに続くお寺さん。

そして、行き着くところは、夕やけだんだんのある、谷中銀座の商店街。

はたしてここまで行けるかどうか。

そんな「小さなハイキング」、今年で 22年目に入ります。

                *

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2007年12月 6日

旧芝離宮恩賜庭園 浅草 待乳山聖天 冬の訪れ

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旧芝離宮恩賜庭園

小石川後楽園とともに、今に残る最も古い大名庭園のひとつ、「旧芝離宮恩賜庭園」
に、初めて訪ねてみました。

東京の紅葉の最もいい時、それは12月3日ごろと、先日のこのブログでも書きましたが
さて、今年の本当の紅葉はどうなのだろうかと、今にも雨が降りそうな中を浜松町駅に
向ったのでした。

その浜松町駅から歩いて1分、何ともいい場所にあるのが、この「芝離宮庭園」であります。


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ここの庭園から歩いて15分程の所にあるのが、あの広い「浜離宮恩賜庭園」でありますが、
そこには、5回か、6回あまり行っています。

クラブのみなさんとご一緒だったり、ひとりでスケッチに行ったりと、また、近くには私の好きな
汐留シオサイトがあったりで、どちらかといえば、つい、「浜離宮」の方へと足は向くのでした。


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ここは江戸庭園の典型とも言われる潮入りの「回遊式泉水庭園」で、潮の干満を利用して
水辺の変化を持たせたと案内にあります。

しかし、それは昔のこと、現在では潮入りではなく、淡水の池になっているそうです。

大きな敷石、鯛橋。 

見方によっては、たしかに鯛の形に似ているようです。


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「浜離宮庭園」と比べると大きさは4分の1ぐらいでしょうか。

当初はかなり大きかったようですが、それが東海道本線の拡幅で削られたり、
また、新幹線の敷設によって、またもや削られてしまい、現在の形になったそうで、
それでも往時の重要な部分は、そっくり残され保存されているそうです。


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園内の約半分が池で占められています。

その池には、浮島、中島、大島とあり、池の周りには枯滝あり、わずかな登りで園内が
一望できる大山あり、5月初旬あたりの藤がさぞかし綺麗だろうと思わせる藤棚なども
あります。

今、桜の紅葉を見るにつけ、春の桜見物もさぞかしと思ったものでした。


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池の中で一番大きい島が中島であります。

その中島に、架かるのが「西湖の堤」で、中国の杭州にある西湖の堤を模したそうで、
雨にぬれた石の橋も、なかなかの良い風情でありました。


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景色の見渡せる良い場所に東屋があります。

浜松町の駅のコンビニで買ったおにぎり2個と暖かいお茶のボトル。
ここなら雨にも濡れず、また、スケッチの一枚も出来るかと、その屋根の下に
入ったのです。

簡単な食事をすませ、絵の支度をしていると、

「あいにくの雨ですなぁ」と、年輩の品の良い男性が、傘をつぼめながら、私に言った。

「そうですね でも ここではかえって風情があって いいではないですか」

「まあ そうですな ここから歩いてもわずかですが 浜離宮には行かれましたか」

「はい 何度か行っています」

「そうですか あすこも私は好きですなぁ」と、紅葉にカメラを向けながら云う。

カメラひとつで、ふらりと、どこまでも出かけてしまうようで、晴れていても雨であっても、
それはあまり関係なく、どっちでもいいそうだ。

穏やかそうな人でした。


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その東屋で描いたのがこのスケッチです。

まだまだ以前の勢いというか、感覚が戻ってきていません。

しばらくはお見苦しいとは思いますが ・・・・・・・・・

これを描いている時、後ろのベンチでは、ひとりの若いOLが、うまそうな弁当を広げていました。


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庭園の歴史には、この地はかって海面で明歴1655年から1658年頃、埋め立てて、
延宝6年(1678)、老中 大久保家の邸宅になり幕末には紀州徳川家の芝御屋敷に、
そして明治に入り有栖川家のものになり、明治8年には宮内省がこれを買い上げ、
翌年には芝離宮となる。

大正12年の関東大震災によって、ほとんど焼失したが、翌年13年には昭和天皇
ご成婚記念として、東京市のものになり庭園の復旧と整備をして大正13年4月から
一般公開されたとあります。

長い歴史のなかで、時代と共にあった「旧芝離宮庭園」でありますが、その案内の
中で、私はここが昔、芝浜という名の所であったということ、これが一番目につきました。


落語の傑作 「芝浜の皮財布」 、ここがあの噺に出てくる所だとは ・・・・・・・


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浅草 待乳山聖天

浅草にまわり、まずは浅草寺に参拝し、今、修理中の二天門を通って、途中、助六の碑
がある「花川戸公園」にでます。

その公園前を通って広い道に出て左に進むと、言問橋西の交差点。
そのまま、まっすぐに広い道を行くと左側にあるのが、この「待乳山聖天」(まつちやましょうてん)


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浅草、新吉原近くの龍泉にあります 「一葉記念館」の、 はす向かいで生まれた私ですが、
この聖天さまには行った事が無く、この日が初めてでありました。

境内はイチョウの木が大半で、それもその本数の多いこと。
これ程沢山の綺麗な黄葉を見たことはありませんでした。


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正式名は待乳山本龍院。
浅草寺の支院で、その起こりは推古天皇9年(602) といいますから、ものすごく
古い歴史であります。

十一面観音が、大聖尊歓喜天に化身して、この地に姿を現し、苦しむ人々を救ったため、
聖天さまとして祀られたと記述があります。


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隅田川に望み、かっては「竹屋の渡し」に程近く、小高い丘にあり、江戸時代には
東部随一の眺望の名所といわれ、多くの浮世絵、詩歌などの題材にもなったとか。

境内には大根、巾着のしるしが目につきますが、これは聖天さまのご利益を示すもの。
大根は健康、一家和合であり、巾着は商売繁盛を表しているようです。


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12月3日、わずかな時間で名園といわれる「旧芝離宮庭園」と、庶民の心のよりどころ、
浅草は「待乳山聖天」と、色とりどりの紅葉を見ながらの散歩でした。

いづれの紅葉もそれぞれに一番でした。

甲乙はつけられません。

どちらの紅葉も地に落ちるまで、最後の輝きを見せてくれていたのですから。

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2007年11月15日

紅葉の那須 旅のあとさき

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広大な那須高原の中にそびえ立つ 「ホテル エピナール那須」。
その9階の部屋からは、姿かたちの良さで知られる那須連峰が望めます。

事前に、参加される方々には出来ればスケッチもしてみたらと、話はしていたのですが
特に女性の方々は、絵にも感心があるようで、用具をお持ちになった方が予想以上に
多かったのには驚きました。

2911号室の特に展望の良いこの部屋に、明朝、午前7時に集合、朝食前に一枚描いて
みようとなったわけであります。

しかし、こういう時は自分では普段どおりには、なかなか描けないものです。
話しかけられたり、また、アドバイスも、と、なりますと自分のスケッチブックには心ずもり
程度の中途半端な絵しか描けないものです。

こういう場合はあくまでもみなさんが中心ですから。

自分の小さめのスケッチブックには、鉛筆で、それでもポイントだけは、しっかり描き留めます。
山の重なり、あたりの雰囲気、色彩の妙などを軽く絵の具で着彩し記憶します。

そして、そのあとはその時の感動と記憶の薄れないうちに、出来るだけ早く、この時はその日の
うちに、自宅に帰ってから、あらためて原画を元にスケッチしたのが上の絵であります。

実際には完成まで現場主義の私にとってはあまりやらない事でありますが。


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11月もなかばになりますと、山ではもうすっかり冬支度で、木々も葉を落とし、冬そのもの
でありました。

標高がそれ程高くない所にある「ホテル エピナール那須」では、今が盛りと言っても良い位の
紅葉が見られました。

ホテルそのものは人気通りに、ほぼ満室の状態。
そのひとつの理由がリピーターが多いこと。

数多くのホテルに行きましたが、その中でも、また行ってみたいなと、思わせる
サービスの良さ、雰囲気の良さが満ちあふれている、そんな感じのホテルであります。


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今回の企画の中で、一番苦労したのが現地での見学場所であります。
ホテル前には路線バスの停留所がなかったこと。
あってもバス停まで徒歩で20分。

ですから、かなり見学場所が限られました。

出来ればちょつぴり品の良い所、少々の知的を感じるところ、そんな所をさがしました。


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ホテルから徒歩15分ほどの場所にあるのが 「那須オルゴール美術館」。

19世紀から20世紀にかけて作られた高級オルゴール、その収集家であった、故佐藤潔氏の
コレクション、その所蔵品はかなりの数にのぼるようで、その中から常時120点ほどが館内に
展示されていました。

毎時丁度からは20分間にわたって、係りの方の説明とともに大小さまざまなオルゴールの
演奏があります。

那須高原に、ひびく心地よいオルゴールのさまざまな音色、それは日々の雑踏、喧騒を
しばし忘れさせてくれるものでありました。


毎夜、ホテルの広いロビーで開かれる、クラシックを中心にコンサートも、とても素敵でした。

曜日によって出演者が変わりますが、その日はソプラノ歌手「福田恭子さん」の出演でした。

ロックバージョンに編曲された名曲の数々、背後の巨大なガラスの窓越しに見える、那須高原の
夜景の美しさとマッチして、それは夢心地のひと時でした。


音楽をたっぷり取り入れた、今回の旅行でしたが、これもまた、好評を得たようであります。


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