2008年6月 3日

六本木 国立新美術館

Img_5236a_1_1


地下鉄大江戸線で六本木下車。

そこから徒歩で4分ほどで、この国立新美術館に到着します。
六本木という、良い場所にある、この国立新美術館に初めて行ってみたのです。


Img_5239a_1_1_1


正面全体が、総ガラス張りで出来ている大胆な建物。

それも、ほど良いカール状を施し、見る者にとっては、なんとも云えぬ、やわらかな
感じをあたえます。

もっとも、この建物を見るのは二度目で、初めて見たのは、昨年の「東京シティサイク
リング」の時で、この前を走り、ここがあの新しい美術館かと横目で見ながら、今度は
すぐ隣の東京ミットタウンに向ったのでした。


Img_5244aa_1_1


建物は、あの黒川紀章さんの設計で、それは明るく開放的で、斬新なデザインです。

入口も総ガラスで、内部からも外がよく見通せます。

晴天ならば日の光も、さんさんと、まばゆいばかりの日差しが望めるのではないかと
思います。

この日は、あいにくの曇り空でしたが、それでも充分な外部からの明かりでありました。


Img_5254a_1_1


Img_5256a_1_1


大小のコマ状に見える造形物。

写真中央の大きい方は、3階に位置し、後ろの小さい方は2階に相当します。

それぞれに、カフェであり、レストランでもあります。

その場から下をのぞきこむと、なんと足下が見えないだけに、高所恐怖性の私などは
恐ろしいです。


Img_5252a_1_1


各展示室は、1階、2階、3階それぞれに5室から、2室あり、合計で10室あります。

天井の高さも、5メートルから8メートルと、他の美術館と比べても極めて高く、縦に長い
作品であっても、充分に対応できそうです。


Img_5265a_1_1


今回見たいと思って行ったのは、オーストラリアの先住民、アボリジニとして、生まれた
女性画家「エミリーウングワレー」の、作品展であります。

エミリーは、1910年頃の生まれで、オーストラリア中央の砂漠地帯で、アボリジニの
伝統的な生活を送りながら、儀礼のためのボディペインティングや、砂絵などを描いて
いたのです。


Img_5246a_1_1_1_2


1977年からは、バティック (ろうけつ染) を始め、1988年からは、本格的な絵画になり、
カンヴァス画を描きはじめます。

その後、亡くなる1996年までのわずか、8年間の間に、なんと3千点とも、4千点とも
いわれる作品を残しました。

年で言えば70才ぐらいから、80才少し前までの、わずかな期間に、このおびただしい
数の作品を描いたのでした。


Kame_1_3_1_4
カーメ (アボリジニの言葉でヤムイモの種を指す) 一夏の故郷 1991年


さて、日本で今回初めて紹介された多くの作品は、今までの西洋美術とは、無縁の
環境にありながら、既存の抽象画にも通じていて、その色ずかいの良さはいうまでもなく
画面構成も、とてもモダンであります。

素朴な線の羅列、長い曲線の複雑な模様。

その無限とも感じられる点描の色の数々。

作品の中には日本古来の和風の趣すら、思わせるものもありました。

全120点の展覧であります。


Img_5257a_1_1_1


3階の吹き抜けから見下ろす、この美術館の入口。

幾何学的な骨組みの建物は、巨大な網の目の中にいるような気分です。


Img_5259a_1_1_1


また、その3階部分には中庭もあり、竹林も配置されたりして、無機質を感じる中にも
ほっとする空間もそなわっています。

そういえば、ここに来る手前には、東京ミットタウンもありますが、その広場にも同じように
竹林が配されています。

都内にあって珍しい竹林。この辺に何か共通するものがあるのでしょうか。


Img_5262a_1_1


国立新美術館、まだ、開館してから、わずかですが、この地の利の良さで、上野とは
また違った、新しい作品群が見られそうです。

上野の古典芸術に対して、これからの新しい表現芸術ともいうべき、今の美術を、そして、
現代を表徴する芸術を、オシャレな、この地で見せてほしいものです。


Img_5263a_1_1


また、3階には中庭の竹林を望みながらの、図書閲覧室とも言うべき、アートライブラリーが
用意されています。

国立新美術館ならではの貴重な沢山の蔵書が、この静かな雰囲気の中で、ゆっくり
見る事も出来ます。

いま、観賞してきた作品たちによって高ぶった気持ちを、ここで少しばかり落ち着かせる
ためにも、私は何冊かの、穏やかに描かれた水彩画の本を、しばし眺めたものでした。


                     *


| | コメント (0)

2008年5月29日

新宿コマ劇場 年内で閉館

Img_1799s_1_1


私の好きな劇場のひとつに、新宿コマ劇場がある。

あの歌舞伎町にあって唯一、安心して行ける所、いかがわしさのない所、
それが、このコマ劇場のように思う。

そのコマ劇場が5月28日付けで、年内で閉館するという。

突然のことで、昔からこの劇場に通っていた者にとっては、これはとても淋しい話だ。

あの円形のせり出したステージ、どこの席に座っても、何だか自分が一番真ん中に
いるような気分にさせる、不思議な座席の作り方。

一階、二階、三階といったつくりではなく、ひとつのスロープになっていて、古い劇場に
しては斬新なデザインで、それも、どこから見ても、とても見やすい劇場である。

古いといえば、1956年12月の開館。

それ以来、52年の歳月がたっている。

老朽化も進んでいて、それも閉館の理由のひとつかもしれないが、当世の演歌の衰退も、
大いに関係しているようだ。

常に、その時代のトップ歌手たちが、座長となり、お芝居と歌謡ショーの豪華2本立てが、
この劇場の売りものであった。

ここで公演出来れば、一人前の証であり、一流歌手としてのレッテルが貼られる。
大物歌手になったと評価の基準にもなっていた。

ところが、今の歌謡界、この時代を表徴するような、若手歌手がいるだろうか。

この劇場で満員になるのは、北島三郎さんに、氷川きよしさんぐらい。
それでは、やっていけるわけがない。

いまや、演歌の存続が危ぶまれる昨今、新宿コマ劇場の閉館のニュースは
それを表しているよな気がする。


Leaflet01_4


偶然といえば、偶然だが、6月の「中村美津子特別公演」は、24日に行くことになっている。

お芝居は、中条きよしさんをゲストに迎え、「出ばやし一代」と、そして、「中村美津子オンステージ」
が、豪華絢爛にくり広げられる。

これも今から楽しみにしているものの、年内で閉館の知らせに、コマの席に着いても、
どこか、さみしさが感じられるのではないかと思う。


                            *

| | コメント (0)

2006年5月14日

山川勇一郎氏と深田久弥氏と

Img_0910a_1_1


昭和34年11月1日とありますから、今からもう47年も前に発刊された画文集を
私は大事に持っています。

山と渓谷社刊、山川勇一郎氏の「HIMALAYA」という、縦33㎝、横26㎝の
やや大きめの山の画文集であります。

何分にももう随分古い本になってしまい、装丁もくずれて厚めの紙のページも
バラバラになりそうです。

私にとっては最も大切な本の一冊でもあります。

発行された直後に購入したものではなく、暫くたってからのもので、山の月刊誌
「山と渓谷」の案内か、なにかで知ったのでしょう。

在庫ありの電話で、当時千代田区平河町の中政連ビル内にあった山渓本社に
出かけたのを今でも懐かしく覚えています。


Img_0905a_1_1_1
ランタン部落 

結構古いビルのようで暗くて狭い階段、通路には乱雑に積まれた荷物などがあり、
2階だったか3階だったのか、その一室は事務室風で、こんな狭いところで
あの山の月刊誌「山と渓谷」が作られていたのかと、少々拍子抜けしたものでした。

定価1200円のこの画文集「HIMALAYA」を大事に抱え、家に帰るまでが
待ちきれずに帰りの電車の中で大きく広げてはその迫力のあるスケッチに見入ったものでした。

今でこそ油性サインペンでスケッチする方は多いですが、その当時は画材としては
大変に珍しいものでした。

太いタッチの線、それは豪快であり、また時には繊細な細い線となり、やわらかさを
出してみたり、その技量の程は並々のものではありませんでした。


Img_0899aa_1_5_1
カトマンズの裏街 テンパタンの母子

山川勇一郎さんとはどういう方だったのでしょう。

親交の厚かった、日本百名山の著作者で知られる深田久弥氏が、この画文集の
まえがきに「ヒマラヤ画集によせて」と一文を寄せています。

それによりますと昨年3月2日、ヒマラヤ行きで共に神戸を発っとありますから、
それは昭和33年のことで、その際の作品集だったことが分かります。

山川勇一郎氏のその人なりについては、深田氏は育ちの良さがあらわれて、
おっとりとして、コセコセしないし、また先を争ったり、他を押しのけたりしないなど、
温厚そのものの方であったと述べております。

インドについてからも、ヒマラヤの山中を歩いているときも、あらゆるものに、
それは植物、動物達にまで深い興味を示し絵のモチーフになると思えば、
そこで時間の過ぎるのを忘れて作画に熱中していたとも書かれています。

とにかくやさしい心を持っていたと、そして誠実な大らかな絵は大好きとも
深田氏は云われております。


Img_0904a_1_1_1
ヒマラヤの石楠花

しかし、そのおっとりとした性格と物事に熱中しすぎるという事が時としては
それが大きなあだになる場合もまたあるようです。

同行者を先にベースキャンプに返しておいて、ひとり氷河のクレバスを描くために
再び向かった時、「気をつけてね」の仲間の声が最後になり、その後、
行方不明になりクレパスに転落したものと想像されています。

それは今も分からないままであります。

若くして去っていった山川勇一郎氏、私もどのくらいこの画集のページを
めくった事でしょう。

油性サインペンを使い始めたのもこの画集を見てからのことであります。


Img_0902a_1_1
ランタン・リルン  モノカラー

ところで深田久弥氏が、のちに山川勇一郎氏の思い出を随筆に書かれまして、
それを読んだ事があります。

山川さんの絵が一枚欲しくてそれを云ったところ、ごく簡単にあげましょうの返事だったそうです。


ある日、約束通り、山川さんのお宅に絵をいただきにいった時の事であります。

玄関先に出迎えてくれた山川さんが、「どうぞこちらへ」と応接間に通された。

入れ替わりにお母様がお茶を持ってこられ「どうぞごゆっくりなさって下さい」と、
さがったが、ややしばらく待っても山川氏が出てこない。


Img_0908a_1_1
ジュガール・ヒマールの山々 油絵

怪訝に思いながらも、また、待つ事しばし、それでもあまりにも遅いので、
お母様に「もし お忙しいようでしたら また 日を改めて」と、言えば、
「いや まもなく絵を持つて参りますでしょう」

「お忙しい時に伺い失礼致しました」

「いや そうではございません。 深田さんに今日差し上げる絵と、只今隣の部屋で
お別れをしているところなんですよ。 もうすぐ参りますから」と笑顔でいう。


深田さんはこの随筆の中で、この時ほどその作品と作者の結びつきの
深さを知った事が無かったと。

そして、安易に云った、「一枚の絵」 の所望に自分のこころの浅かったことを
痛切に感じたとも述べています。

「一枚の絵」の重み、それは作者の並々ならない絵に対する愛情の大きさ、
思いなのかもしれません。

帰る道すがら、この絵こそ大切にしょうと思ったとあります。


Img_0914aa_1_1_1
クレバス (プルビ・チャチュムブ氷河)

今、山川勇一郎さんて、どのくらいの方が知っているでしょうか。

山登りが好きで、ちょっぴり山の絵も好きという方でしたら、名前だけでも
聞いた事があるでしょうか。

謙虚でひかえめ、そして、たおやかな山の絵を描く、そんな絵描きさんが昔いた事を、
皆さんに、ちょつとご紹介したかったのです。


「HIMALAYA」は、全70ページ、大判の絵40枚、ハガキ大の絵28枚


なお、恐れ入りますがこの文中にご紹介の山川勇一郎氏の絵は 商用などには
お使いになりませんようお願い致します。

                 プッポロ

| | コメント (0)