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2007年4月18日

私と着物

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私の母親は針の立つ人で、着物を縫ってもらっても、その着やすさが評判で
近所の人達からも次々と仕立ての注文があった。
いわゆる内職仕事でいくらかでもと家計の一端を担っていたようだ。

それは下町は浅草の龍泉寺に住んでいた頃からで、その頼まれた着物が仕上がると、
子供ながらにも私がそれを届けていた。
浴衣なら一日に三枚は軽いという仕事の速さで何枚かを風呂敷包みにしてもらっては、
小さな腕に抱いては持って行ったものだった。

それは今の練馬に移り住むようになってからも続き、私が中学生あたりまでそれが続き、
相変らず下町のお得意さんに届けたりもしていた。

ごく素直な子供の様であったようだ。

それも、二十歳の時、ふと自分も着物が何となく一枚欲しいと思うようになった。

母にそれを言うと
「あぁ そうかい いいよ どうするかね着物の生地 私が見るかい ? 」

なぜかその時、自分で着る着物なんだから、自分で選びたいと、はっきり思っていた。
「自分で西武デパートで見てくるよ」 と、何がしかの金を貰って、その呉服売り場に
自分で行ってみた。

沢山の反物があるそのなかから、母に言われたウールを買ってくるんだよって
その言葉の通り、鉄色がかった紺地の反物を選んだ。

「ちょつとお前、いい色を選んできたね、ほんとにいいね」って、
母の方がすごく嬉しいようだった。

着物と羽織のアンサンブルで早速作ってくれた着物が上の写真の物。

長じばんの柄は、母のお見立て。
肌じばんが別にあるが。

今となっては大事な母のぬくもりを感じる、ただ一枚の着物である。


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二十歳の時の着物。
なぜ急に着物が欲しくなったのか、また着たくなったのか。

それは多分に子供の頃からの寄席通いがあったからだと思う。
十才年上の兄に連れられて初めて行った上野の鈴本が小学校3年生の時。

誰が出ていたのかさっぱり判らないが、ただ古今亭今輔師匠だけはいまだに覚えている。
子供が出る噺で三輪車がどうのこうのって云うのが、子供ながらに面白かったのだと思う。

中学、高校は寄席と特に歌舞伎座には入りびたり。
様々な噺家の名人には接する事が出来て幸せだったと思う。

ところでこの羽織である。
羽織の紐が、羽織の紐独特のあの房の付いた重々しい物ではない。

着物の共切れで作った羽織の紐。
「お前 この羽織の紐 これもいいもんだねぇ 初めてだけど どこで見てきたの」って、
母が聞く。

今となっては誰だったのか知る由もないが、まだ羽織の紐が買えなかったのか、
前座さんは羽織を着るわけはないから、二つ目さんあたりか、高座でまくらを
うかがいながら、羽織の紐をとき、両手で羽織の袖をつまんですーっと肩から羽織を落とす。

実に型にはまった粋なものでありますが、その時目にしたのが、その羽織の紐。

着物の共切れで出来ていたのです。
その若々しさには、私にとってはまさに衝撃的な出来事でした。

それ以来着物を作るなら絶対にこの羽織の紐と。


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着物って不思議なものです。
二十歳の時の物が今でも着られるのです。

それは体重の変化にも限りなく適応してもくれます。

そして着物のたたみぐあい、これは芸術的といってもいいと思います。
すべて角型にたためてしまう。
たたんだ姿も美しく見える。

これも不思議なのは、母に一度しか教えてもらわなかった着物のたたみ方、
角帯の締め方、たった一回、教えてもらっただけなのに、いまだに忘れないのです。


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夏場の浴衣もいいものです。
以前豊島園に花火大会があると時などは着て行ったものでしたが、いまは花火もなくなり、
とんとご無沙汰が続いている。

どちらかと云えは圧倒的に着物を着るほうが多い。

ではどこに着て行くのと言われそうだが、行く所はただひとつ歌舞伎にいくとき。

今年の正月、国立劇場での初春興行の時も着物でした。
草履より下駄が好き。
でも、がたがた音がするから、今度は草履かとも。

最近は寄席からは、すっかり足が遠のいているが、若手もがんばっているのもいるみたい。

今度着物でも着て、また寄席に行ってみようかしら。

もぎりのおばさんが、
「あらっ 師匠 楽屋口はあっちあっち」って・・・・・・云われるわきゃあないか。


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コメント

御母様と着物の思い出、良い話ですね。
柔らかい気分になりました。
昔の鈴本を知る親父に言わせると、今の鈴本は落語を聞く場所ではないそうです。
確かにホールのように広いので噺家の表情が見えないし、マイクを通した声が不自然に感じます。
プッポロさんは末広亭の桟敷席がお似合いになりそうですよ。
浅草の五月上席、池袋の八月上席は良い顔が揃うので楽しみです。

投稿: とりみ | 2007年4月18日 22時11分

とりみさん。
コメント有難うございました。
とりみさんとのコメントの中から、ふと思いだして、昔の着物のことをちょっと書かせて頂きました。
実際には、なかなか着る機会はありませんが、せめて歌舞伎のときぐらいは、勤めて着るようにしています。
ゆったりとした着心地、ふと襟を合わせるしぐさ、角帯に親指をぐっと差し込んで下に降ろす、ついでに裾を揃える、そんな動作が着物の遊びではないかと思っています。

寄席から離れてずいぶん経ちました。
末広が多かったのですが、その頃、行くたびにお目当てが休演。
大体は代演者は二番手が多いようで、それでも今日は出るかなと出掛けてみれはまた休み。

それが何度もたび重なって、しまいには、もういいやになったものでした。
ラジオ、テレビ、結婚式の司会の方が、そりやぁお金になるのは判るけれど、そりゃあんまり つれなかろうってやつですね。

歌舞伎では昔から見ていますが、代演はまずありません。
今までに本当の急病でただの一度だけあっただけでした。
その当時の寄席は、なぜそれが平気で許されていたのか判りません。

最近はどうなのでしょう。
池袋は席亭がその点は厳しいと聞いていますが。

浅草の5月上席小三治さんではありませんか。
行けると思った日がなんと、またもや休演だって。

ついてませんね。
8月の池袋に期待します。

有難うございました。

投稿: プッポロ | 2007年4月19日 16時53分

ご無沙汰しています。
とても着心地の良さそうな、素敵な着物ですね。

僕も母親が仕立ててくれた浴衣を着て夏を過ごしています。
昨年は、多忙過ぎて、着の身着のままと云う具合でしたが、今年の夏は、浴衣を着て過ごしたいものです。

で、プッポロさんのテキストを読んでいる内に着物も欲しくなってきました(笑)

投稿: time@ | 2007年4月19日 21時24分

time@さん。
お久し振りです。
ふとしたことで思わず昔の貧乏話を書いてしまいました。(笑)

幾つになっても下町っ子の気持が抜けません。
三つ子の魂百までも、と言ったところでしょうか。

母が作ってくれた着物。
そのひと針、ひと針を懐かしく指でなぞる事があります。
その時、母のぬくもりや、気持が痛いほど心に感じます。

着れば着たで、ふんわりと、やさしく包まれているようにも思えるのです。

time@さんもお母様が作ってくださった浴衣。
どうぞ、いつまでも大切になさって下さい。

そうですね。
もう一枚、お母様に頑張ってもらって着物を作って頂きますか。(笑)

有難うございました。


投稿: プッポロ | 2007年4月19日 22時19分

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