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2006年5月30日

渋谷生まれのBD-1

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代々木公園

昨日は夕方から昔からの山の仲間と、銀座四丁目の「がんこ」で、軽い飲み会の
予定が入っており、その出掛ける前の、3時間あまりをBD-1で、渋谷の街と
代々木公園を走ってきました。

さまざまなファッション、これでも日本人かと見間違えるほどの人達が集まる雑踏の渋谷の街。
その中にあるのが、私のよく行く、そして私の大好きな東急ハンズ。

このグリーンのBD-1 カプレオも、この東急ハンズで購入したものです。

いうなればBD-1 は、渋谷がふるさと、ハンズに行くことは里帰りと言っても
いいのかもしれません。

今から2年半前の12月初め、ハンズに電話で問い合わせをしますと、現在グリーンの
BD-1が一台在庫があるとの事。

実は、その前からこの自転車が気になっていて、それまでに何度もこの渋谷のハンズに
行っては、このBD-1を遠くから、また近くによっては見ていたのです。

6階C館にあるサイクルショップ、その中央部に、スチール製の棚が作られ、
その一番高い所に、すでにこのBD-1 が見上げるような感じで飾られていて、
自転車好きなのでしょう、数ある売り場の自転車のなかでも、ひときわこの自転車に
人々は注目をしていました。

でも、さわれるのは手を伸ばしてもタイヤしか触れることが出来ず、私もその固いタイヤに
触った時、随分この自転車は空気を入れるものだと、その程度のことしか、その時は感じられず、
まあ、なんていう変わったスタイルだろう、何てきれいな自転車だろう、面白い形だと、
一種の羨望のまなざしで見ていたものでした。

そのうちに家に帰ってきてから、しばらくしても、その自転車のことが忘れられず、
今度は毎日のようにあの自転車、売れずにあの高い台の上にあるだろうかと思うようになり、
休日の度にそれとなく、そっと渋谷に行ったものでした。

そんな事を三週間か四週間つづけ、まだ売れていない、まだ売れてないと、
見るたびにほっとしたものでした。

その間に買うかどうしようかの入り混じった気持が次第に、買うかな買っちゃおうかなの
気持が、しだいに強くなり、家にいてもどうか売れてしまわないようにと願うようになり、
ついに見るばかりであったこのBD-1 について、具体的に電話で聞いたのが、
もう寒い師走のことでありました。

「一台在庫がありますよ」の店員の言葉で、もう買うしかないだろうの気分が
胸いっぱいになり、今度の休みに行くからと云えば、こちらに来て頂かなくては、
ちょつと取り置きは出来ないという。

それはそうかもしれない。

内金も何も無しで電話だけで取っておいては無理かもしれない。
売れた時が商売ですものね。

「でも、大丈夫だと思いますよ」の店員のひと言が頼りで、すごく永く感じた四日間が過ぎて、
ようやく次の休みを迎えたのでした。

最初に見たときから1ヵ月半あまり、その間売れなかったのだから、この四日間で
売れてしまうこともあるまいと思いながらも念のために出掛けに電話をすれば 
「先日の方ですね グリーンのBD-1 ありますよ」と軽く言う。

分かりにくい渋谷の東急ハンズの店内をエレベーターで6階に行く。

ドアーが開けば目の前がサイクルショップであり、相変わらず大変な年の瀬の賑わいで
自転車売り場の通路を歩くのもままならないほどの混みようです。

見上げる先には、夢にまで見そうだった、BD-1カプレオのグリーンが目にもまぶしい
感じで、その輝きがいつもの所にありました。

13万8千円 そこから値引きをしてくれましたが、この時都合がついたお金は9万円、
あとの残りは4回払いのクレジットで手に入れた次第です。


あっ、またひとつ 秘密をばらしてしまった、プッポロです。  「(≧◇≦;)


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2006年5月26日

浅草 江戸芝居小屋

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浅草寺

歌舞伎座の建て替えが、今話題になっている最中、突然飛び込んできたのが、
今朝の読売新聞の記事。

なんと浅草に江戸時代の芝居小屋をイメージした劇場を建設すると言う話であります。

もっともこれも、昨日今日決まった話ではないようで、2003年の江戸開府400年
事業の一環として、浅草寺境内に、中村勘三郎さん主体の「平成中村座」の
仮説劇場の大当たりが下地にあるようであります。

もともと浅草には江戸時代には、中村座、市村座、森田座と三座あったそうで、
大変に賑わいを見せたそうで、歌舞伎全盛の街であったようです。

一日千両の売り上げがあったとも云われています。

それがなぜ明治時代になると、この三座が浅草から離れたのでしょうか。

浜町明治座、銀座の歌舞伎座と新橋演舞場が新しい歌舞伎の顔になったわけであります。

浅草を離れた原因はなにか。

多分に交通の便の発達が遅れてしまった事、交通の不便さが最大の原因なのでは
ないかと私は思います。

前にも書きましたが、落語の立川談志さんも云っていますが、「なんだね 
浅草のロックなんてさ 夕方になると人なんか歩いてないね 暗くなるとさぁ 
犬もあるいてないよ !! 」 なんていわれる浅草でありました。

ところが、今では都営浅草線も走ってますし、人力車もたくさん走ってます。 「(≧◇≦;)

昔と比べてとても便利になった浅草です。

浅草生まれの私としても、勘三郎さんを中心にしての、今回の江戸芝居小屋の開設、
大きな期待を持ってその完成を望みたいものであります。

約20億をかけての大建設、千人強の客席、そして建設候補地は都立産業貿易センター
台東館との事であります。

そして、2〇〇9年春の開場をめざすとか。

ふるさと浅草に、夢の歌舞伎劇場が、どうぞ、これが正夢になりますように ・・・・ ゴーン!! 観音様よろしくお願い致します。 m(_ _)m

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2006年5月25日

前進座公演と四世鶴屋南北

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国立劇場

前進座、劇団75周年記念公演が、三宅坂の国立劇場で5月12日から25日まで行われ、
それに先日、行ってまいりました。

年に一度の国立への進出で、それは連日の満員の状態であったようです。

事実、芝居の醍醐味を、たっぷり見せてくれる演目選びにも、つい今年もまた見てみたいと
思わせます。

座長の中村梅之助さんの「魚屋宗五郎」、殿様の理不尽で、自分の妹を殺された宗五郎、
飲むほどに酔うほどに、むなしさ悲しさがつのり、ついに大酒飲んで屋敷に談判に行くという、
もうお馴染みの芝居であります。

梅之助さん、77歳の宗五郎は手馴れたものでこれぞ役者魂と思わせる目いっぱいの演技でした。

その「魚屋宗五郎」は、河竹黙阿弥の作で、同じ江戸時代に大活躍をした、もうひとりの
作者が鶴屋南北であります。

静の作者、河竹黙阿弥、動の作者鶴屋南北と、江戸を二分する人気作者と言われておりますが、
実際にはこの二人、三十年近くの開きがあるんですね。

勿論南北が先輩にあたりますが。

その鶴屋南北の「謎帯一寸徳兵衛」(なぞのおび ちょつと とくべい) の、通し狂言が、
今回の眼目と言ってもいいでしょう。

若手の嵐圭史演ずる、大島団七、ぞっとするほどの男前、冷酷無残な浪人者。

かっての上役を殺し、仇討ちを助太刀すると偽って、その上役の娘と結婚するが、
自分の私利私欲のために、この娘も殺してしまう。

その大島団七を中にして色と欲が渦巻く修羅場が、この広い舞台にくり広げられ、
鶴屋南北独特の魑魅魍魎の別世界をここに見る事が出来ます。


西にあっては、近松門左衛門のたおやかな世話物狂言。

東にあっては、粋な江戸情緒ただよう人情芝居、そして、壮大な時の流れを綴る時代狂言。

その中にあって今までの観客の度肝を抜いたのが、南北狂言と言われるものであります。

アンダーグランド、これこそ歌舞伎が待っていた狂言作者の誕生ではなかったかと私は思います。

鶴屋南北とはどういう人なの ?

分かっているようで分かりにくい人でもありまして、手元にある参考書などをひも解きますと、
宝暦5年(1755)に日本橋乗物町に生まれて、文政12年(1829)に没とあります。

南北には五世までいまして、一世から三世までは歌舞伎役者でありました。

子供の頃は勝次と言い、父の生業、紺屋職(染物屋)を手伝っていたのですが、
根っからの芝居好きが高じて、何とか狂言作者になりたくて、初代の桜田治助などの
門をくぐり修行して、1804年に立作者となり、1811年に四世鶴屋南北を、自分で
襲名したと言われております。

遅咲きの南北と言われますが、大人気を得たのは「天竺徳兵衛韓噺」
(てんじく とくべい いこくばなし)、50歳の時であります。

今に残る名狂言、他には 「東海道四谷怪談」 「桜姫東文章」 「盟三五大切」
 (かみかけて さんご たいせつ)、その他多数ありますが、いずれも大変な
人気を博したものであります。


ではなぜこんなに南北物に人気があったのか、それは発想の違いと言いますか、
お客がどういうものを望んでいるのか、どういうものを見たいのか、その心理をとらえて
見せたところに、この人の才能があったのでしょう。

それは、見たいけれど普段では見られない物を見せる、たとえば風呂場での男の裸の
場面などは、多くの芝居に登場させています。

恐いけど見てみたい 「殺しの場」 は必ずと言っていいくらい、どの芝居にも仕組まれ、
残虐のなかにもそれを美化して見せる。

また、南北は毒薬も芝居の中にしばし使い、棺おけも舞台にたびたび登場させ、
怖さを誘い、さながらお化け屋敷の様相であります。

水中での早替わり、幽霊、そして極め付きなのが悪の美学。

また、「桜姫東文章」 に見られる、高僧が稚児を愛する倒錯の世界、禁断の世界までを
垣間見せるのが、これぞ鶴屋南北の世界なのかもしれません。

観客の心をよくとらえ、観客を楽しませるこの作者こそが、我らが鶴屋南北といえましょう。


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2006年5月21日

歌舞伎アクセス

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歌舞伎座

この「プッポロ春夏秋冬」に、お出で下さる方々も、実にさまざまであります。

自転車検索で来られる方、ミニバイク ゴリラ、山登り、楽器、スケッチ、花、
また日大豊山で来られる方も、大変多いです。

でもやはり、一番多いのは自転車に関することで、そのサイクリングと、コースについて
などで来られる方々であります。

少数派ですが、コンスタントに連日見えられますのが、歌舞伎ファンの方々からであります。

今まで時折思い出したように、好きな歌舞伎について書き込みをしてきたせいでしよう。

自転車あり、ゴリラあり、日大豊山があるかと思えば、歌舞伎もありと、よそのブログでは
あまり見られない、和洋折衷、森羅万象 ? 南無阿弥陀仏 ? それ程でもありませんが、
変わったブログだと自分でも思っています。

また、その辺が、この「プッポロ春夏秋冬」の人気の高さかもしれませんが。 (どこが高いんだ !!)

その歌舞伎アクセスですが、最近特に目立ちますのが、皆さんやはり歌舞伎座の
建て替えに注目していらっしゃるようですね。

高校時代から歌舞伎座に入り浸りしていたと云われる私にとりましても、
この建て替えについては、少なからず関心があることは事実です。

最近の新聞によりますと、建て替えは今度こそは確実視されており、それも高層ビルの
一部が歌舞伎座になる事もほぼ決まったようであります。

株式会社「歌舞伎座」としては、松竹からの多少の援助もあるでしょうが、
一社だけでは返済が難しく、したがって上層階は事務所などに貸して、
その家賃収益で賄っていくという事らしいですね。


理想的には関西の新歌舞伎座、松竹座、京都南座のように劇場そのものの
建物が望ましいですが、銀座界隈となりますと、そうも言っていられないのでしょう。

明治座、新橋演舞場も、やはりビルの一部が劇場であります。

あとは慣れてしまうしかないのではないと私は思います。

それよりも、肝心なのはその中身であります。

現在の歌舞伎座の見にくいことはどうでしょう。

安い三階席からは花道が見えない。

安いから見せない、そんな雰囲気がある今の歌舞伎座です。


新しい劇場では、この事だけは、ぜひ解消してもらいたいものです。

では、いつ頃建て替えか、気になるところですが、聞いてもまだ言わないでしょう。

私が思うところでは、来年の秋以降ではないかと考えています。ただ漠然とでありますが。


問題なのは約2年余りかかる工事期間中の、代わりの劇場をどうするか、
これが結構大きな難問でもあります。

役者さんの直接、生活収入に関わる事、遊ばしておく事は出来ません。

どこの劇場を代わりに使うか、と言ってどこでもいいという訳にはいきません。

最低限度、回り舞台のあること、本花道があること、舞台間口ができれは
十三間以上はあること、ちなみに歌舞伎座は十五間あります。

収容人数もありますから、かなり制約があります。


私は新橋演舞場が、それに、もっともふさわしいと思いますが、すでに年間
四ヶ月は歌舞伎公演に使っており、人気俳優の歌と芝居などで、結構売れている
劇場だけに全部歌舞伎という具合にはいかないでしょうね。


それでは浅草公会堂はどうか。ここは公共施設なのに本花道があるのです。

何処から見ても見やすい、いい劇場です。

でも、年間を通じて、毎月25日間も歌舞伎に貸すわけにもいかないかな。

台東区だっていろいろ行事もあることでしょうし。


それならいっその事、三宅坂の国立劇場はどうか。

最近の国立劇場は理事長さんが、あまり歌舞伎が好きじゃないのか、
めっきり歌舞伎公演が少なくなりました。

たまにやっている、そんな感じです。

夏の歌舞伎鑑賞教室を含めて年間7カ月ほど、そのうち大歌舞伎公演は五ヶ月あまり。

古典芸能の伝承、そして継承と、たびたび言うにしては、何もやっていない
月が最近はとても多いのです。

いまや、でっかい貸しホールと言われてもしょうがないほどです。

うん、そうだ !!  歌舞伎座の代替劇場は国立:劇場にしょう !!

そうしょう !! ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ 


ところで私は明日、前進座の歌舞伎公演で国立劇場に行くんだっけ。  「(≧◇≦;)

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2006年5月17日

荒川と水元公園そして柴又帝釈天

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あんた 泣いてんのね、といえば先日亡くなられた、松山恵子さんの歌の
一節でありますが、あんた また 荒川なのね、と言われそうなくらい、
荒川サイクリングコースが好きなプッポロであります。


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浅草生まれの浅草育ちでありますが、きっと荒川の水で産湯をつかったのでは
ないかと思うほど、自転車に乗れば、つい足が、ペダルが自然と荒川に向いているのですよ。

好天に恵まれ、暑いくらいの5月15日、舟渡あたりから出発しました。


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赤羽ゴルフ倶楽部を通して見える、向うの高層ビル群が、最近、随分増えてきました。

地図を頼りに調べてみると、どうやら方角的に川口方面ではないかと思います。

前回5月始めに来た時よりも、緑の色もひときは濃くなり、季節は春から初夏に
移りかわり、まさにこれからサイクリングのシーズン到来といった雰囲気です。


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今日は平日なのにここ荒川はロードを中心にして、かなりの人が走っています。

前回は連休の最中で、これはまた賑やかでしたが、今回もそれと同等の大勢の
サイクリングの人達でした。

前にも書きましたが、本当に皆さんウェアーのセンスがよくなりました。

オシャレになってきました。

きれいなサイクラー、それは見ていてもとっても楽しいものです。

それと同時に通りすがりに、会釈をする方が、ここ荒川でも確実に増えてきましたね。

なかには、人の顔をまったく見ないで首だけをちょつとだけ、下げるという方、
うん 面白い挨拶もあるものです。

挨拶されたら挨拶を返し、また 自分からも会釈をしましょうか。


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わずか2週間で花の様子が、がらりと変わっています。

アカツメクサのきれいなピンクが一面に見られたのに、もう それはほとんど無くなり、
ご覧の通りのシロツメクサに変わっています。

それもあちらこちらに広範囲に土手一面を覆うように咲いています。

これもそう永くは無いようですが、それというのもこの時期定期的に土手の
草刈を行っているのです。

もうちょつと残してもらいたいなと思うほど、きれいなお花畑です。


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岩淵水門あたり、この辺は何回来ても良い所です。

特異な形のこの建造物も最初はなんだか不気味に感じましたが、面白いもので
今ではユーモラスさえ感じられ、荒川サイクリングコースのシンボルにも
思われるようになりましたね。

この附近でもロードの方がしきりに通り過ぎます。


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左に見えるのが新荒川大橋、荒川の上流方面を見たところです。

この場所はちょつとしたバーベキュウも出来るところで、いつも人でにぎわう所、
休憩するにもよし、家族で、グループで遊ぶもよしの結構な所であります。


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荒川と隅田川と流れが分かれる場所で、右に行くのが荒川で左手前の
流れが隅田川になります。

下の写真も隅田川で、右に小さく中洲のように見える緑が見えますが、
新河岸川がここで合流しているのです。

落着いた静かな風景が広がります。


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プッポロです。

いつもこんなスタイルで走っています。

今日はヘルメットではなく、ラコステのウールのキャップ、サイクルジャージは Gill 。

短パンはモンベルのパット付き。

ほとんどがミレーのザックですが、今回はイクシーズの薄い生地のショルダーバッグを
S字型のステンレスをハンドルに引っ掛けて走っています。

ザックの他にはウエストバッグ、ハンドル前につけるサイクルバッグ、その他
バッグばかりいろいろ買っていましたが、結局は普段使っている自転車用ではない
バッグを少々工夫して使っています。

またこれが案外使いやすいのです。


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お馴染みの虹の広場。

向うの二本のポールには先日来た時には大きな鯉のぼりが泳いでいました。

BD-1サイクリングクラブで来ますと、ここは大変な賑やかさになるところ。

夢幻の如く、そんな風情でもあります。


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さて、虹の広場からは、堀切橋を過ぎ首都高をくぐり、四つ木橋で6号線、
水戸街道を左に進みます。

本田広小路、白鳥2丁目、青戸8丁目と走り、金町3丁目左に曲がれば、
金町駅。そこから307号線を北に向うと、わずかで、ここ「しばられ地蔵」で
知られます、天台宗業平山 南蔵院に到着です。

閑静な住宅街にあるお寺さんで、境内には藤棚もあり、鐘楼もあり、そして盗難除け、
厄除け、縁結びに効果ありと云われ、荒縄でぐるぐる巻きにされたお地蔵様がおります。

願をかける時に縄でしばり、願いが叶ったら縄をほどく風習が今に続いています。

ほどかれた縄も結構あるところを見ますと・・・・・・いいようですよ。


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都内最大の都立公園、水元公園は、しばられ地蔵から数分のところにあります。

6月初旬からは花しょうぶの大群落で有名です。

ブルーの水元大橋を中心にして作られ、南北に花しょうぶが見られ、北側には
児童公園、水生公園、親水公園、そしてレストラン「涼亭」などの施設も完備され、
また、管理センターでは花の相談も出来る親切さです。

水元大橋の西側は堤で区切られた掘割が釣仙郷で釣り人の絶え間なく、
下町の長閑な水の公園であります。


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水元公園から金町駅に戻り、そこから1600メートル走ると、寅さんで知られる、
柴又帝釈天の門前に到着です。

二天門をくぐると正面の帝釈堂、左手に鐘楼があり、鐘楼の前には水をかけた
タワシで、ゴシゴシこすると願いが叶うという、浄行菩薩もあります。

二天門と帝釈堂のグルリをうずめる緻密な彫刻は法華経絵巻を題材にしたもので
国宝級といわれています。

参道は寅さん映画でよく見る高木屋、とらや、えびす屋、亀屋などの草だんごの店が並びます。


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そして、江戸川河川敷に自転車を進めますと、「矢切の渡し」。

都内に残る唯一の渡し舟。

片道100円、以前一度乗った事がありますが、ゆっくりと流れる江戸川を130メートル先の
千葉県側に、ゆったりと櫓を漕いで行く船頭さん。

普段味わえない別世界のロースピード。たまにはいいものです。


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さて、江戸川サイクリングコース、柴又辺りは住宅すれすれに走るところもありますが、
そこを過ぎれば、あとは広い河原を右手に見ながら快適なコースが続きます。

今回はすぐ近くにある新葛飾橋を越えて、常磐線の線路に沿って左に行けば、
先ほどの金町駅に出ます。

そこからは輪行で戻りました。

変化のある名所、旧跡を回る半日コース、面白いですよ。


実質走行時間 3時間30分

走行距離 45、38キロ

平均速度 12、9キロ 遅いなぁ O(≧▽≦)O  

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2006年5月14日

山川勇一郎氏と深田久弥氏と

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昭和34年11月1日とありますから、今からもう47年も前に発刊された画文集を
私は大事に持っています。

山と渓谷社刊、山川勇一郎氏の「HIMALAYA」という、縦33㎝、横26㎝の
やや大きめの山の画文集であります。

何分にももう随分古い本になってしまい、装丁もくずれて厚めの紙のページも
バラバラになりそうです。

私にとっては最も大切な本の一冊でもあります。

発行された直後に購入したものではなく、暫くたってからのもので、山の月刊誌
「山と渓谷」の案内か、なにかで知ったのでしょう。

在庫ありの電話で、当時千代田区平河町の中政連ビル内にあった山渓本社に
出かけたのを今でも懐かしく覚えています。


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ランタン部落 

結構古いビルのようで暗くて狭い階段、通路には乱雑に積まれた荷物などがあり、
2階だったか3階だったのか、その一室は事務室風で、こんな狭いところで
あの山の月刊誌「山と渓谷」が作られていたのかと、少々拍子抜けしたものでした。

定価1200円のこの画文集「HIMALAYA」を大事に抱え、家に帰るまでが
待ちきれずに帰りの電車の中で大きく広げてはその迫力のあるスケッチに見入ったものでした。

今でこそ油性サインペンでスケッチする方は多いですが、その当時は画材としては
大変に珍しいものでした。

太いタッチの線、それは豪快であり、また時には繊細な細い線となり、やわらかさを
出してみたり、その技量の程は並々のものではありませんでした。


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カトマンズの裏街 テンパタンの母子

山川勇一郎さんとはどういう方だったのでしょう。

親交の厚かった、日本百名山の著作者で知られる深田久弥氏が、この画文集の
まえがきに「ヒマラヤ画集によせて」と一文を寄せています。

それによりますと昨年3月2日、ヒマラヤ行きで共に神戸を発っとありますから、
それは昭和33年のことで、その際の作品集だったことが分かります。

山川勇一郎氏のその人なりについては、深田氏は育ちの良さがあらわれて、
おっとりとして、コセコセしないし、また先を争ったり、他を押しのけたりしないなど、
温厚そのものの方であったと述べております。

インドについてからも、ヒマラヤの山中を歩いているときも、あらゆるものに、
それは植物、動物達にまで深い興味を示し絵のモチーフになると思えば、
そこで時間の過ぎるのを忘れて作画に熱中していたとも書かれています。

とにかくやさしい心を持っていたと、そして誠実な大らかな絵は大好きとも
深田氏は云われております。


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ヒマラヤの石楠花

しかし、そのおっとりとした性格と物事に熱中しすぎるという事が時としては
それが大きなあだになる場合もまたあるようです。

同行者を先にベースキャンプに返しておいて、ひとり氷河のクレバスを描くために
再び向かった時、「気をつけてね」の仲間の声が最後になり、その後、
行方不明になりクレパスに転落したものと想像されています。

それは今も分からないままであります。

若くして去っていった山川勇一郎氏、私もどのくらいこの画集のページを
めくった事でしょう。

油性サインペンを使い始めたのもこの画集を見てからのことであります。


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ランタン・リルン  モノカラー

ところで深田久弥氏が、のちに山川勇一郎氏の思い出を随筆に書かれまして、
それを読んだ事があります。

山川さんの絵が一枚欲しくてそれを云ったところ、ごく簡単にあげましょうの返事だったそうです。


ある日、約束通り、山川さんのお宅に絵をいただきにいった時の事であります。

玄関先に出迎えてくれた山川さんが、「どうぞこちらへ」と応接間に通された。

入れ替わりにお母様がお茶を持ってこられ「どうぞごゆっくりなさって下さい」と、
さがったが、ややしばらく待っても山川氏が出てこない。


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ジュガール・ヒマールの山々 油絵

怪訝に思いながらも、また、待つ事しばし、それでもあまりにも遅いので、
お母様に「もし お忙しいようでしたら また 日を改めて」と、言えば、
「いや まもなく絵を持つて参りますでしょう」

「お忙しい時に伺い失礼致しました」

「いや そうではございません。 深田さんに今日差し上げる絵と、只今隣の部屋で
お別れをしているところなんですよ。 もうすぐ参りますから」と笑顔でいう。


深田さんはこの随筆の中で、この時ほどその作品と作者の結びつきの
深さを知った事が無かったと。

そして、安易に云った、「一枚の絵」 の所望に自分のこころの浅かったことを
痛切に感じたとも述べています。

「一枚の絵」の重み、それは作者の並々ならない絵に対する愛情の大きさ、
思いなのかもしれません。

帰る道すがら、この絵こそ大切にしょうと思ったとあります。


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クレバス (プルビ・チャチュムブ氷河)

今、山川勇一郎さんて、どのくらいの方が知っているでしょうか。

山登りが好きで、ちょっぴり山の絵も好きという方でしたら、名前だけでも
聞いた事があるでしょうか。

謙虚でひかえめ、そして、たおやかな山の絵を描く、そんな絵描きさんが昔いた事を、
皆さんに、ちょつとご紹介したかったのです。


「HIMALAYA」は、全70ページ、大判の絵40枚、ハガキ大の絵28枚


なお、恐れ入りますがこの文中にご紹介の山川勇一郎氏の絵は 商用などには
お使いになりませんようお願い致します。

                 プッポロ

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2006年5月12日

軽井沢の風

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公私共にこの忙しさは何だ、と言うくらいにあわただしい毎日が続いている。


その忙しさの中、連休明けの数日後、わずか一泊ではあるけれど軽井沢に行ってきた。

ひとりでのんびりと、と思うところではあるけれど、それがどうして、20名様の団体旅行の
ご案内である。

ホテルの手配、バスとの交渉の面倒さを避けて、今回は新宿から出発するホテル
直行バス付きの宿泊プランを採用した。

行き先は軽井沢と言っても群馬県吾妻郡嬬恋村にある 「ホテルグリーンプラザ軽井沢」 である。

バスはホテルに直行し、翌日午後2時半に再び何処にも寄らず新宿に帰る
ストレートさに今人気があるようだ。

軽井沢の町はヤマザクラが丁度満開で、思わぬ二度目のお花見となり、
さらにその町を北上すること30分あまりで、季節もぐっとさかのぼった感のある、
まだ木の芽もふいたばかりの早春の林の中に、その大型リゾートホテルが現れる。

設備、風呂、食事とその良さは期待を裏切らないものが並び、「ホテルグリーンプラザ箱根」
同様に申し分の無い内容のもので、私のお気に入りのホテルでもある。


だが参加される方々に高齢者も多く、私も含めてだが、何しろ年を取ると
いろいろと大変な事が多い。

今回のご案内は、今までに経験した事が無いくらい、ひどい疲れを感じた。

そのひとつに、だいたいがヨイヨイなのに、なぜバスに乗ったとたんに
酒を飲み始めるのか。

歩くのもおぼつかないのに、そこに酒が入ればなおのことふらつく、
まさにサノ酔い酔いである。

その自制心の無さには到底理解できないものだった。

また、高齢の奥さんが散策中に、二度ほどつまずきころんだらしい。

その事で亭主が奥さんを人前はばかる事も無く怒鳴り散らすのも、私としては
見るに忍びない思いだ。

優しさの無い男というのも世の中にはいるものだ。

でも、何があっても、ただひたすらに何事も無いが如く平静を保たなければならない。

私の心中、疲れが広がるばかりであった。

それでも男はあいきょう一筋、笑顔絶やさず、これからも、又、私の旅は続きそう。 「(≧◇≦;)


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2006年5月 4日

5月 花の荒川サイクリングコース

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5月、この季節の荒川サイクリングコースは、各所に色とりどりの小さな花たちが、
今を盛りに平地にまた堤防の斜面など、それぞれに咲ききそっています。

その連休の最中、東京では気温31度になった真夏日の5月1日、約一ヵ月半ぶりに
再び葛西臨海公園まで、荒川サイクリングコースを走ってみました。


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サイクリングのグループで走るときは別にして、個人で走るときは、いつも都営三田線の
西台駅前通り、なおも北に向うと、まもなくで新河岸川に出ます。

そこを舟渡大橋で越えますと、笹目橋と戸田橋の中間あたりの堤防の前に走りつき、
それをわずかに登れば、そこは何ともコースが一望出来る見晴らしのいいところであります。

あとは一気に下ってコースに流れるように合流していきます。


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一年で今が一番多くの花々が見られるような気がします。

ここ荒川サイクリングコースにも、階段状のいい場所に沢山の花が植えられた
プランターが並び、それはそれはしばし見とれるほどの美しさです。

いろいろなコースを走りましたが、これほど手の込んだ綺麗なものはあまり
他では見当たりません。


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岩淵水門附近の芝生といいますか、堤防の斜面には、ひと言で云ってしまえば、
雑草とかたずけられそうな小さな草花ですが、その姿は美しく、また多感な色合いと
共に華やかさをを見せてくれます。

コースをハイスピードで走り抜けていくのもこれもまた楽しいものですが、
たまにはちよつと時間を掛けて、今立っているその場所の足元を見てみたいものです。

そこに生きているさまざまな花たちにも、何かしらの物語を持っているかもしれませんから。

ここでは、ごく普通に見られる草花を四つばかりご紹介してみます。


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アカツメクサ

ヨーロッパ原産の多年草で、最初は牧草として我が国に輸入されたもので、
その後各地に広がり野生化したものです。

花の色は紅紫色。すぐに目につく色と形です。

白色の花もありますが、それはシロツメクサと呼ばれ、別名をクローバーと
云ってお馴染みのものであります。


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ホトケノザ

東アジア、ヨーロッパ、北アフリカに広く分布している越年草です。

今では畑、道端などに、ごく普通に見られますが、注意深く見ますと、花の姿、
美しい花びらと実に良く出来たものと思います。

春の七草のホトケノザは、これではなく、キク科のコオニタビラコであります。


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ハルジオン

北アメリカ原産で、背丈30センチから60センチの多年草。

大正時代に、本来は観賞植物として輸入されたもので、主に東京で栽培されていたようです。

その後、野に逃げ出し、都市周辺を中心に各地に広まったものです。


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セイヨウタンポポ

タンポポの仲間は約400種ともいわれ、その内、日本には約22種が野生化し、
セイヨウタンポポ、アカミタンポポなどが帰化しています。

花は日が照ると開き、日が沈むと閉じるので、西洋では「牧童の時計」の愛称があります。

今や本来のカントウタンポポ、カンサイタンポポ、シロバナタンポポなどが、
このセイヨウタンポポに侵略されているのはご存知の通りです。


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私が初めて自転車を親から買ってもらったのは中学に入ってからの事でした。

メーカー名などはすっかり忘れてしまいましたが、いわゆるサイクリング自転車で
何段かのギヤがありました。

今考えると、あの時何処かにサイクリングに行ったことがあっただろうかと。

あまり覚えが無い所をみると、大して遠くには行っていなかった様に思う。

15分程で行ける石神井公園すら、どうやら行ったようでもない。

もっとも地図といえば、日本地図と世界地図しか持っていなかった、あの頃は、
家の附近の道順など分かりようも無かったのかも知れない。

やたらに重くて、フレームは黒のその自転車は、ギヤチェンジの度に、
よくチェーンが外れたものだが、油だけはこまめに差していた。

油さえ差していればいいのかと、やたらにつけてはズボンを油だらけに汚しては、
怒られもしたものだった。

今でこそ、度々のチェーンの清掃、洗車などは当たり前、随分幸せな自転車たちだ。


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端午の節句が近い荒川サイクリングコース、花を飾るばかりではなく、虹の広場には、
今、大きな鯉のぼりが2本立っています。

荒川の流れに添うようにして、元気に風に泳いでいます。

この鯉のぼりひとつで、普段とはずいぶん雰囲気が変わるもので、
気配りの優しさまで感じられます。

鯉のぼりを見ながらの小休止もなかなかいいものです。


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写真で見ますとコースは閑散としているように見えますが、大型連休中のこと、
この日もかなりのサイクリストが走っています。

世の中9連休とか10連休とか、うらやましい限りです。

ところで最近のサイクリストの、ジャージ ヘルメット、その色彩感覚が、ウェアーにも
出ていて、大変に良く似合う方が多くなりましたね。

さりげないオシャレ、さりげないワンポイント、本当に見事です。そして、とても綺麗です。

もう外国人サイクリストに、そのスタイリングの良さでは負けていませんね。


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葛西橋までようやくやって来ました。

ここまで来ますと、まずほっとします。

この長い葛西橋を渡り、あとはくねくねとした階段を下り、葛西臨海公園に向う
海沿いの直線があるだけです。


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葛西臨海公園、ここも人人人で、大変な賑わいです。

上の写真は一瞬、人が動き、ファインダー内に人影が、いなくなった時のことです。

会社の行事でしようか、大勢での大なわ跳び大会、子供達の甲高い声、その中を
走る園内の汽車の汽笛の音など・・・・・・。

遠くに見える東京ディズニーランドのホテル群とブルーの海。

何回来てもいい公園です。


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さて、自宅から約4時間かけてのサイクリング。この葛西臨海公園駅から
今回は輪行で帰ります。

この園内にも大きな鯉のぼり、沢山の鯉のぼりが泳ぎまわり、初夏の五月に
ふさわしい華やかな一日のフィナーレーとなりました。

自転車って走れば走るほど楽しい乗り物ですね。

車にも、バイクにも無い何かをもっている乗り物、自転車。

それは何か。

それは多分、人を頼らないこと、そして自分の持っている力を信じて走ること。

ここに魅力があるのかもしれません。

昔の花森安治さんの言葉です。

「自転車は人間が考え出したいろんなキカイのうちでも、もっともすぐれた
能率のよいキカイの一つにあげられるでしょう。それは毎日の暮らしに密着して
役にたつキカイのはずです」


  走行距離   約 53k

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