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2006年3月31日

少林寺と五百羅漢

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曹洞宗のお寺、少林寺は、秩父鉄道波久礼駅から徒歩で45分の、人家もまばらになった
山のふもとに静かに佇んでいます。

関東一といわれる保存の良さで知られる五百羅漢と千体荒神の石碑を、一度見たいものと
梅も満開の頃、3月中旬にひとり訪ねてみました。

お寺さんの説明によると、この少林寺の開山は、永正8年(1511年)と、かなり古いものですが、
開基は北条氏康の家臣となった藤田右衛門太夫国村、または康邦ともいわれており、
定かなことは分からないようです。

ご本尊は釈迦牟尼仏。


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その後、慶安年中(1648年から1652年)に、寺領15石を与えられ、また文政9年(1826年)の
春より、四方から浄財を募り、寺の境内山中に釈尊、十六羅漢、五百羅漢の石像と千体荒神の
石碑を、天保3年(1832年)に安置し、信仰の道場として、今日に続いているとのことであります。


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あちらこちらの羅漢さんを今までに随分と見てきましたが、これほどまでに綺麗に残されて
いるのは見た事がありません。

お寺の裏手の山麓から、羅漢山と呼ばれる小さな山の頂まで、510余体の羅漢石仏が
山道の脇に並びます。

いづれもユーモラスで、思わずこちらまで笑いを誘われるものばかりであります。


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この千体荒神とは、戦時中、戦場の守護神として、まつられたもので、石は秩父の荒川に
数多くあります、青簾変岩を板状に加工したものではないかと思いますが、あくまでも
私個人の見解ではありますが。


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千体荒神は今では別の信仰対象にもなっているようで、地元選挙の時など参拝すると、
当選間違いなしとも言われ、こちらの方でも信仰を集めているようです。


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さて、これから多くの羅漢さんのなかでも、特に私のお気に入りの仏さんをご紹介したいと思います。
ほとんど多くが南向きに安置され、やわらかな日差しの中に、羅漢さんでなくても思わず
居眠りをしてしまいそうな、春の初めのひと時であります。


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五百羅漢とは孝子孝孫 (親孝行な子、孝行な孫) が、亡くなった人をしのび、
一心に羅漢さんのお顔を仰ぎ見る時、必ずその尊顔の中に、亡くなった人の面影を
見る事が出来ると云われています。


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ちなみに羅漢とは、仏教の信者から施しを受ける価値のある人という意味で、また、
悟りを開いた仏弟子に対する、尊称でもあります。


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あとは説明もいりませんね。

それぞれの羅漢さんの語る話を静かに聴いてみてください。

あなたの優しい素直な心で・・・・・・ (゚∀゚ )


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少林寺の裏手から、愉快な羅漢さんと共に楽しみながら、登ること15分ほどでしょうか、
ささやかな羅漢山の山頂の広場に出ます。

その広場に安置されているのが、中央に釈尊をまつり、両側に脇侍文殊 (わきじもんじゅ) と、
普賢菩薩 (ふげんぼさつ) の二菩薩が並び、その回りを囲むようにして、十六羅漢が
配置されています。

このお釈迦さまを毎月のように、お参りにこられる方も多いことをここで知りました。


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この小さな山、羅漢山からは、階段状の急な山道を10分程下りますと、円良田湖 (つぶらだこ) に
到着します。

この時は人影もまばらでしたが、ここは桜の名所でもあり、湖を中心にして約一万本の
桜があるそうです。

今のお花見の頃は大変な人出かと想像いたします。


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さて円良田湖からは、30分あまりの山また山の中の道を行きますと、小高い所に建つのが、
秩父鉄道波久礼駅近くの 「かんぽの宿 寄居」 であります。

宿泊は勿論のこと、最近は日帰り温泉でも人気があり、湯も本格的な温泉であります。

6階の展望風呂からは、その名の通り、眼下には荒川の流れ、遠くには秩父の山並みと、
まさに絶景を楽しむ事が出来ます。

私もしばし、その露天風呂を楽しんだことは云うまでもありません。


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2006年3月23日

新橋演舞場の出火

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新橋演舞場                           


        お詫び

昨3月22日、弊社新橋演舞場の夜の部公演中に出火があり、公演中止といたしました。直ちに火は消し止めましたが、お客様はじめ地域近隣並びに関係する皆様に対して、大変ご心配とご迷惑をおかけいたしましたことは、誠に申し訳なく、謹んでお詫び申し上げます。当日「滝沢演舞城」を楽しみにご来場賜りましたお客様には、重ねてお詫び申し上げます。
弊社といたしましては、原因を徹底的に究明し、このような事態が二度と発生することのないよう、万全の対策を講じて参ります。
また、公演につきましては、安全確認および復旧作業のため、現時点では23日13時、18時開演の2公演は中止させていただきます。
今後につきましては、早急に公演を再開できるよう鋭意努力をいたしております。
尚、公演中止の22日、23日ご観劇券をお持ちのお客様につきましては、払い戻しをさせていただきます。松竹でお求めのお客様は、新橋演舞場にて、払い戻しを受け付けております。また、ジャニーズ・ファミリークラブにてお買い求めのお客様はファミリークラブにて承ります。各種プレイガイドにてお買い求めのお客様はお買い求めされた場所にお問い合わせ下さいますよう、ご案内申し上げます。
お買い求めのご観劇券は必ず払い戻しされるまでお手元にお持ち下さいますよう、お願い申し上げます。
お客様には、多大なるご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
                                         
                                           平成18年3月23日

                                                 松竹株式会社
                                                  新橋演舞場


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新橋演舞場は、3月、4月と2ヶ月連続による滝沢秀明主演による「滝沢演舞城」の公演である。

その公演の最中、3月22日、なんと夜の部、開演後まもなく地下2階の舞台道具置き場から
火災が起きたという。

それにともない、上記の「お詫び」がすぐに公示された。

1400人満席の状態での出来事でそれはさぞかし大混乱したと思う。

幸いにして大した怪我人も無かったようで、火も30分程で消し止められて大事にならなかった
事が嬉しい。

何しろ私の一番のお気に入りの劇場だからだ。

ほどよい大きさ、どこから見ても見やすい席、やわらかな間接照明が、かもし出す雰囲気が
とてもシャレている。

その劇場が大きく傷つかなかったのが、何よりである。


本来のこの時期は市川猿之助スーパー歌舞伎の時である。

猿之助さん、現在病気療養中とのことで、ここ数年はお休みしているが、その穴埋めとして、
若きスーパースター滝沢秀明さんを起用しての華麗な公演を作り上げたものと思う。

大正14年創立のこの新橋演舞場は、今年で80年になる。

その長い歴史の中で、若干23才の座長とは、これまた初めてのことだ。

勿論若くして豊かな才能、行動力、魅力の持ち主であれは、誰でも出来るのかもしれないが、
しかし、今回の公演には、昨年NHK大河ドラマで、一年間「義経」に主演して、まだ人気のさめやらぬ今、
ここでひとつ、大芝居を打って出てみるかの感が、強く思われてならない。

猿之助さんのスーパー歌舞伎の向うを張っての絢爛豪華な衣装と道具立て、そして音楽と踊り、
その内容は、ジャ二ー喜多川さんの演出らしく、それは最新設備を屈指した見応えのある舞台
だとは思う。

だがスーパー歌舞伎は昭和61年、梅原猛さん原案による「ヤマトタケル」から始まっている。

もう20年の歴史のあるものである。

その長い年月の積み重ねの中にあって 「リュオー」 があり 「オグリ」 「八犬伝」 「カグヤ」
 「オオクニヌシ」

そして 「新三国志」 と発展している。

それは周到な準備と経験豊かなスタッフ、歌舞伎役者としての重みがあってこその事である。

今回の火災事故を考えると、何処かにまだ無理な所があったのではないかと思えてならない。

本物の花火を噴射させながら座長が上空を舞うなんて、新橋演舞場でやることではない。

そういうことは東京ディズニーランドに任せた方がいい。

松竹も演舞場もジャニーズ事務所も、目先の派手さと、利益追求ばかりでなく、もっと内面的に
深いもので、そしてもっと独創性と安全性をも考えてみたいものだ。

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2006年3月22日

BD リカンベントサイクリングクラブ 荒川を走る

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オノさんが主催されている、定例荒川サイクリングに3月21日(祝日)に参加させて頂きました。

本来は毎月第3日曜日でありますが、今月は板橋区の市民マラソン大会が、このコースで
開かれるので、昨年に引き続き春分の日の今日行われました。

私は昨年3月、マーカス氏をゲストとして迎えてご一緒に走りましたが、それ以来の参加であります。


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楽しい方というのは、どこでもいるものでして、リカンベントで到着のこの方は、黒と黄色の
自転車とウェアが、ぴったりマッチしていて、誠にファッショナブルな、そして、今日の幹事さん
でもあります。

話し方もセンスも抜群、楽しい一日になったことは云うまでもありません。


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変わった自転車が見られるのも、こういうクラブならではのものでしょうね。

目新しい自転車が到着するたびに、自転車談義があちらでも、こちらでもくり広げられ、
集合場所の浮間舟渡駅前広場は時の過ぎるのも忘れそうです。

中央右側にはお染馴みのロイさんもご参加です。


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そして今日一日の注目の的、目が点になりそうなのが、このお二人のボーイさん達です。

なんと自転車用のジャージであります。

アメリカ製で実によく出来ています。

全面はファスナー付きで、柄はすべてプリントされたものですが、近くで見ても本当に
リアルそのものです。

見れは見るほど可笑しく、いや楽しい雰囲気を、たっぷり作って下さいました。

それにしても、このお二人、とっても似合っていました。


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いろいろなスタイルのリカンベントを見るのも楽しいですね。

オノさんは二人乗りのリカンベントでの到着です。

ここにあるリカンベントの数々、一番手前のがブログでお馴染みの、あのgan さんのリカンベントです。

目立つフードの付いた長い車体、実はganさんには、今日初めてお目に掛かりました。

想像していた以上に、優しい話し方をされる方で、そのganさんにお目に掛かったそれだけでも、
今日は参加の価値があったように思います。


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そして今日の幹事さん何をしてもユーモラス、器用な方です。

この自転車乗るのが難しそう。

それでもいきなり乗って鮮やかなものです。


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荒川サイクリングコース、虹の広場。

今、パンジーが花盛りです。

今日のサイクリングクラブの参加者、おおよそ60名前後にみえました。

快晴に恵まれ気温も東京は16度少々とか、桜も開花したという知らせもあり、暖かな春本番も
もうすぐそこまで来た感じの、この日の荒川サイクリングコースであります。


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いつもの通り途中でローソンで買い物、そして葛西臨海公園に到着です。

この陽気に誘われて葛西臨海公園は大変な人出であります。

私は朝食をほとんど取らずの参加もありますが、もう何回もここまで来ていますが、
走りこみが足りないせいか、最高に疲れました。

ついつい遅れがちになりますが、それにしてもみなさんの走りの早いこと、びっくりしました。


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楽しい食事のひととき、お互い情報の交換と、そして、ここで終りという安堵感もあり、
和やかなひとときが続きます。

初参加の方も多く、いまや大きなオノさんの、サイクリングクラブです。


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ゆっくりした食事のあと、名残惜しいけれど解散の時がきます。

思い思いに思い出を残し、今来た道を再びもどる人、江戸川サイクリングコースを通って
帰る人、葛西臨海公園駅から、新木場駅から輪行で帰る人、さまざまな別れかたで、
また再会を約して家路に向います。

本当にみなさん素敵な方々ばかり、ぜひまた参加したいものであります。

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2006年3月13日

BD-1のペダル

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和田サイクル

三寒四温とはよく言ったもので、昨日とくらべて、この厳しい寒さ。

その寒い中を久し振りに和田サイクルにBD-1で行ってきました。

オリジナルで付いていて、それも以前から気がかりであった、あのぺダルの交換であります。

渋谷の東急ハンズで買ったとき値段の張るBD-1にしては、なんと、こんなママチャリに
使うようなペダルが付いているのが、不思議に思ったものであります。

その頃から、もうすこしシャレたものに交換したいとは思いながらも、もう2年4ヶ月が
過ぎてしまっていました。

これまでにも自分でも交換してみようと思わなかったわけではないが、やや小ぶりでは
あるものの、一応ペダルレンチでやってはみましたが、何にしてもびくともしないのです。

まあ、大事な手を傷めてもと思いつつ、ついついまたそのままになっていたのです。

入間川を走っても、荒川を走っても、ちょいと皆さんとBD-1を並べて置いてみても、
まずママチャリペダルの人は皆無と言ってもいいくらいいませんね。

もしかしたら、これは皆さん購入時に、まず第一番に取り替えるのがこのペダルなのでしょうか。


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今日は途中から、ちらほらと小雪が舞う程の寒さでしたが、中杉通りから鷺宮、そして
青梅街道に出て和田サイクルに。

このお店は、ご主人の人柄の良さからでしょうか、いつ行ってもお客さんの絶え間のない
和田サイクル。

行った時には、中古自転車を持ってきた中年男性の防犯登録の注文を受けて、
懇切丁寧な応対。そしてチェーンの注油とエアーの点検、和田さんのひとつひとつの
動きがとても若々しく感じます。


そこではかなり待たされましたが、肝心のペダルの交換は一瞬のうちであります。

和田さんお勧めのペダルに交換してから 「ほら 大分 雰囲気が変わったね」 と、ニッコリ笑う。

部品の値引きもしてくれて、取替えの手間賃も入っているのか、いないのかの安い値段でありました。


一人前になったか ? 私のBD-1。 そろそろ長距離も走ろうかなの気分です。


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2006年3月 9日

マイ マンドリン

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駅の構内などで、よく若者が黒の楽器ケースを背にかけたり、大事そうに腕に抱えたり、
また軽々と片手で運んでいるのを目にする事がある。

そのファッションとあいまって、ひとつの絵になっていることも多く、一芸に秀でた人間として
軽い羨望のまなざしで私はつい見てしまうことがある。

そういう私がその黒の楽器ケースを持った姿はどういう風に見えるだろうか。

たぶん羨望のまなざしで見てくれることは、恐らくないであろう。

「あの人は自分が楽器をやるのではなく、ただ誰かに頼まれて運んでいるに違いない。

または自分の子供のお稽古に使う楽器をどこかに修理に出す途中に過ぎない」と。

いや、そんなことも思わず、目にも入っていないかもしれない。

そんな私が本当にマンドリンが入った楽器ケースを持って銀座4丁目の山野楽器に行った。


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私のマンドリンである。

鈴木バイオリンで作られた1975年製のマンドリンで、その年に買ったもので、
今年でなんと31年目になる。

あらためて、このマンドリンとの付き合いの長さに、驚くばかりだ。


山野楽器に持って行ったのは弦の張替えと調弦、そして一番の問題は弦を押さえたときの
指腹の痛みである。

普段は弦の張替えと調弦は自分でやるが、この指の痛さは永いこと練習のたびに
泣かされてきた。

プロの演奏家は指の痛みを、どうしているのか。

慣ればかりではないように思い、よく行く山野楽器に相談をしてみた。

「一度お持ち下さい」とのことで、出掛けたのが2月のなかば、そして生まれ変わったように
弾きやすくなって帰ってきたのが、このマンドリンである。


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大きく穴があいているのが、これをサウンドホールという。

このホールの中央部でピック (ツメ) を上下に2本の同音の弦を同時に弾くとあのマンドリン
独特のチャラチャラの音が出る。

弦は1弦から4弦まで、それぞれに2本づつあるので合計8本の弦が使用されている。

その8本の弦はボディから僅か2ミリ、3ミリのすき間を保っている。

そのすき間を作っているのが、上の写真で手前に見えている白色の弦受、ブリッジと
呼ばれるもので、これが高すぎると、ボディと弦の間が広がり、強く抑えることによって、
指先が痛くなる。

と、いってあまりすき間がなくなると弦がボディに接しやすくなり、今度は音がぶれてしまう。

ブリッジを削っての微妙な調整がプロの腕の見せ所というものである。

山野楽器からメーカーの鈴木バイオリンに運ばれ見事に弾きやすくなったのは云うまでもない。


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先端部分をヘッドといい、その手前の長い弦があるところをネックと呼び、弦の中央にある
白い丸印はポジションマークという。

普段は自分で弦の張替え、また調弦も適当にやっているが、プロの手に掛かるとこれが
同じ楽器かと思うほどの違いである。

弦巻きにきちんと巻かれ、きちんと弦も短く切られているが、以前ロックバンドのギターなど、
わざと長い弦を切らずに、そのままにしてチャラチャラさせながら演奏しているのを見て、
カッコいいなと私もそれをこのマンドリンでやっていた事があるが、しかし、その実は
弦を切るはさみが、その当時無かったということもあるにはある。


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弦楽器でも、管楽器でも、打楽器でも楽器と名の付くものは、その姿はどれも美しいと思う。

なかでも弦楽器の木製部のあの艶やかさ、あの暖かみのある曲線の美しさが私は好きだ。

バイオリンの8の字型のアールの美しさ、僅かなボディの柔らかなふくらみの作りは、
それだけで芸術品そのもののように思う。

このマンドリンの響鳴胴(ボディ)の裏側のふくらみなどは官能的でもあり、エロチシズムさえ
感じるほどの美しさである。

木を一本一本細くして細工をしアールをつけて、糊付けをしてこの丸みを作る。
手作りならではのぬくもりである。

31年前に製作されたマンドリン。

その当時はどこのデパートにも楽器売り場があった。

これは池袋西武百貨店で購入したもので、大きなガラスケースに飾られていたのを、
初めて手にした時の気恥ずかしさ、嬉しさ、そして静かな感動をいまだに忘れられない。

デパートから楽器売り場の姿が消えたのと同時に、世の中のしくみまですっかり変わり、
今この時、変わらないのは、このマンドリンの美しい音色と、私のマンドリンを弾く腕の
未熟さだけだ。

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2006年3月 3日

唐まんじゅう

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落語に「まんじゅうこわい」という噺があります。

まんじゅうの事を考えただけで、こわくてこわくて震えがきてしまう、ましてや、まんじゅうが、
目の前にあろうものなら、気が遠くなって卒倒してしまうなんてぇ男がいまして、町内の
若い連中が、そんなまんじゅう野郎をひとつみんなで驚かせようじゃないかと相談が始まります。

寝込んでしまったその男の枕元に、こっそりといろんなまんじゅうを買ってきては並べまして、
連中は隣の部屋から、その様子をうかがいます。

そのうちに男は目が覚めて、あたりをきょろきょろ見回しておりましたが、ふと目の前に並んだ
まんじゅうを見て、びっくり仰天。


「あっ  まんじゅうだ ! ! まんじゅうだよ ! !  こんなにまんじゅうがある ! ! 」

「おーっ  塩まんじゅうだ !! こわいねーっ ! !  塩まんじゅうはこわい むしゃむしゃ・・・・」

「やーっ これ葬式まんじゅう  葬式まんじゆうはでかいから よけいにこわい むしゃむしゃ・・・・・」

「おやっ ! これは蕎麦まんじゅうじゃないか  蕎麦まんじゅうも ほんとにこわいよ ! ! 」

「栗まんじゅうもあった !!  栗まんじゅうは旨いね  いやっ 栗まんじゅうは こわいんだっけ ! ! 」

「おーっ こっちにあるのは紅白まんじゅう  うーっ 紅白まんじゅう こないだから食べたかった ! ! 」

「こっちの隅っこにあるのが なんだ ! ! おおっ ! 唐まんじゅうだ !! ああっ唐まんじゅう  
唐まんじゅうは久し振りだな  唐まんじゅうは おいしい ! ! 」 って、いったいなんだ。

まんじゅうみんな食われちゃってる。

町内の若いもんが、なだれ込む様に、その男を取り囲み。

「なんだい !! まんじゅうこわいなんて ぬかしゃがって 好きなんじゃねえか お前がほんとに
怖いものはなんだい ! ! 」 っていったら。

「今度は渋いお茶が一杯こわい」 って噺です。


その唐まんじゅうの話ですが・・・・・  どうでもいいけど、随分前置きが長かったですが、
浅草の片隅といったら怒られそうですが、ご主人がひとり朝3時とか4時には起きては、
あんこを作り、手作りの、こだわりの、この唐まんじゆうを作っているそうです。

私の知人から2度目の唐まんじゅうを頂いたのは昨日のことであります。

最初に頂いたのは2年ほど前のことでしたが、その時の食べた時の旨さがいまだに
忘れられません。


それにしても、自分でもいつもいつも、人が持ってきてくれるのを、ただ待っているというのも、
なんだかとても精神がいじけていくような気がして、また心もひどく惨めな感じもしまして、
いつでも、ただ貰うばかりではなくて、何とか自分自身で一度浅草に行って実際に買って
みたいものだとずーっと思っていました。

先日のゴリラで浅草に行った時も、実は観音様にお参りするよりも、唐まんじゅうを
買う事の方が私にとっては、この時はとても大事なことでした。

ところが、うまくいかないもので、いくら探しても、どうしてもそのお店の場所が分からないのです。

帰ってきて、そのことを知人に言いましたところ、そうだったの、じゃあ、私がまた行って買って
きてあげるよって、買ってきてくれたのが、上の写真のものであります。

やっぱり、何でも云ってみるものですね。

物を貰うってのは、本当にいつでも嬉しいものであります。


唐まんじゅう

浅草 せいげつ

台東区浅草6丁目17番11号
電話 03 3876 0386

8個入りでしたが、あまりの空腹で1個食べてから写したものです。

愛想も何も無い主人とのことですが、確かに旨いことは旨いです。

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