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2005年6月18日

母の口ぐせ

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母が作ってくれた巾着

今は亡き母の口ぐせが、日々の会話のなかで思わぬところで、ふと、私の口から
出る事がある。

子供の頃、何かにつけて頼みやすかったのか、よく用事を言いつけられたが、それを
すぐにやらなかったり、嫌な顔をしたりすると、気の強い母は、たちまちのうちに私を
座敷に座らせて、次から次へと小言を言った。

どちらかと言えば、わりあいおとなしい性質の私は反論も出来ず、ただ黙って、又、
いつもと同じことを言っているぐらいにしか聞いてはいなかったが。

「お前ね はたらくと言う意味は はたの人を らくにしてあげると言うことだよ それで 
はたらくと言うのだよ 人間 何が何でも働らかなくてはだめだょ よく私が言ってるでしょう
 愚痴をこぼさず 汗をかけって」

長いお説教のなかで、この「働く」の意味の言葉が、かならず何処かに入れるのが
「母の口ぐせ」である。

向うをむいたまま、黙々と針仕事をしながらも、誰に聞かせるでもなく独り言のように

「昔の人はうまい事いうねぇ "ぼうふらも 蚊になるまでの 浮き沈み" だってさ」

「お前 こんな事もよく言ったよ "身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ" ってね そうかもしれないねぇ」

「だけどさ 今まで この年まで 生きてきてさ 人間は 一生懸命働いていれば 
何とかなるものだねぇ よく云うだろう "捨てる神ありやぁ 拾う神あり"ってさ」

この切ないような「母の口ぐせ」が、今の私の心のささえです。


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コメント

物事や道理をどんなに詳細に話しても、相手がそれに対して聞く耳を持たなければ伝わりません。
御母堂の口ぐせを心の支えとすることが出来たプッポロさんの「心の目線」が素晴らしく思えたテキストでした。
と、同時に多くのことを親から学ぶ機会があっただろうに・・・はてさて口癖のひとつも浮かんでこない自分がなんとも情けなく気恥ずかしくなってしまいました。

投稿: time@ | 2005年6月19日 02時10分

time@さん こんばんは。
昔の人は、ほんのひと言の言葉とか、古くから伝わることわざ、又は川柳、都々逸、芝居などの中から人の生き方、生きる上での粋な生き方などを、ごく自然に子供の頃から耳学問として学んだように思います。
長い年月に渡り研ぎ澄まされた本物の言葉になっているだけに、説得力もあるように思います。
合わせてユーモアまでも入れてしまうのですから見事としか言いようがありません。
有難うございました。

投稿: プッポロ | 2005年6月19日 23時25分

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