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2005年3月29日

石神井公園の夢

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我が家から自転車で18分程で石神井公園に行く事ができる。

私のお気に入りの公園で、こんなに近いなら年間を通して、もっと頻繁に行けば
いいものを考えてみれば、一年に四、五回ほどしか行っていないかも知れない。

特に冬の水鳥を見るには双眼鏡などなくても目の前で見る事が出来る。

ただ、三宝寺池の大きさからして、多くの種類を望むことは無理で、
せいぜい冬鳥だけで7種類前後で、良しとしなければならないが。

先日も水鳥たちのこの冬最後の、顔を見たくなり出掛けてみたが、まだ渡りをせずに
真冬のままのメンバーが揃っていた。

三宝寺池をひとめぐりして、厳島神社の前まで、自転車を押しながらきたところ、
赤い鳥居の前で油絵を描かれている方を見た。

私も絵を描くのが好きなだけに、人様が描かれていると、やはり気になります。

どんな材料を使っているのか、どういうタッチなのか、つい後ろに回って拝見する事になる。

だがこの時は 「・・・・・・・・・」 である。 

その次には 「・・・・・なんで ? 」である。

ここは石神井公園だよね。「確かに石神井公園だよね」って、心に確認を求める私。

描かれているのは「静物画」である。

りんご、レモン、青い果物、ワインボトルなど、こういうのを普通「静物画」という。

真剣に描かれているこの方は、私が後ろに回っても眼中にないようだ。

絵にもかなりの時間を掛けているのが、見れば分かる。

大胆なタッチといい、構図もなかなかだ。

だが、この方は時折、石神井公園の深い林に目をやり、じっと見つめる。

そして又、キャンバスに目を戻し、りんご、レモン、青い果物、ワインボトルを
描き込んでゆく。

私も深い林を眺めたが、やはり深い林だ。

そうだ、きっとこの人には、心眼というものがあり、石神井公園の深い林のなかに、
りんご、レモン、青い果物、そしてワインボトルたちが、「私のここを描いて欲しい」とか、
「俺の力強さを表現してみろ」とか、「私のこの初々しさを優しく描いて」とか、
その物たちが、ささやき、見えるのかも知れない。

ほんとだろうか。


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2005年3月24日

クンシランの花

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我が家のクンシランが、今を盛りと咲いています。

ヒガンバナ科 アフリカ原産だそうですが、花持ちも長いようで、これからしばらく
楽しめそうです。

これは8年ほど前になりますか、もっと前かもしれませんが、友人達と八丈島に
行った事があります。

大島に行った時もそうでしたが、帰り際になると決まって観光バスのなかで、
ガイドさんがくじ引きなどで、その島の特産品などをお客に配る事があります。

私はその時何も当たりませんでしたが、友人達の一人がこのクンシランの
苗木が当たったのです。

その後、友人は頼まれもしないのに、その苗木を丹精込めて育て上げ、何年かするうちに
花も付き始め、根元からは小さな新しい芽が何本か出るまでになったものです。

そのうちの一本を、私を可哀想と思ったのか、くれたのが今から四年前の事であります。

水を絶やさないように、根ぐされしないようにと、それは結構手間ひま掛かった様に思います。

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年を追うごとに、葉の数も多くなり、どこかで聞いたことがありますが、14枚から
15枚になると、1本花が咲くよの話の通り、15枚になったこの3月に初めて咲きました。

オレンジ色の花が先端に10個ほど、そして今度は葉の数が17枚から
18枚になると、2本になるそうです。

ところで昔、植物でも動物でも人様にあげた時、けっしてその後「あの木は
どうしましたか」とか、「差し上げた犬は元気ですか」 などと聞いてはいけないと、
云われた事があります。

大事に大事に育てていても、何かの事情で枯らしてしまったり、死んでしまったりする事も
あるものだからと。

また、むやみやたらと望んでもいないのに、生き物をあげない事も大事なようにも思います。

あとの手入れ、世話はその人がやるのですから。

私のように植物も動物も大好きで、手がかかれば掛かるほど、面白いなどという
人間は、そうざらにいるものではありませんから。


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2005年3月22日

BD-1の設計者マーカス氏と荒川を走る

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BD-1のマーカス氏

3月21日、BD-1をデザインされたRiese and Muller の、Markus Riese さん達と、
荒川サイクリングコースを浮間公園から葛西臨海公園まで走りました。

おなじみのオノさんの「BD-1サイクリングクラブ」でのことであります。

抜けるような青空の中を、それは楽しい一日になりました。

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集合場所は毎回同じの浮間舟渡駅前の浮間公園、午前9時集合でしたが、
皆さん早くて8時半にはすでに大勢集まっていました。

初参加の私は自宅を午前7時30分に出て、ここまで約1時間の走行で来ました。

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午前9時過ぎには、おおよそ50名から60名ほどの方々が集まりました。

参加者全員の自己紹介、そして、水谷自転車の社長さんからメインゲストの
マーカス氏の紹介があります。

長身で痩せ型で大変なハンサム、素敵な笑顔が印象的です。

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午前9時20分、いよいよ出発です。浮間公園の池をめぐるようにして外に出て、
荒川のサイクリングコースに入ります。

思い思いに工夫をこらした自転車の数々、BD-1 モールトン リカンベント、
これも結構何台か見られました。

またこれらを見るのもとっても楽しみなものですね。

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荒川サイクリングコースに出てからは、平均速度20キロほどで皆さん走っていますので、
私から見ればかなり速い感じです。

コース沿いの広場では、休日のためさまざまなスポーツが行われています。

ここ岩淵水門までノンストップで来まして、まず最初の休憩になります。

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マーカス氏はドイツ語は勿論、英語もできると言うことで、メンバーと結構話をされていました。

いつでもにこやかで、実に優しい雰囲気を作り出す方です。

メンバーは、それぞれに再び自転車談義のひと時になるようです。

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今回マーカス氏はご婦人同伴であります。

マーカス氏は黒のBD-1でしたが、女性の方はご覧の通りの綺麗な赤のBD-1で、
とってもよく似合っています。

マーカス氏のスピードを出すこと、ものすごいです。駆け抜けるように先頭に行き、
カメラを構えます。後ろになるとそこから又、先頭になるということの繰り返しでした。

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「虹の広場」は、荒川サイクリングコースの中で一番の休憩場でしょうか。

二度目の休憩になりますが、この日は他にも折りたたみ自転車のクラブも見られ、
賑やかなサイクリストで大変でした。

自転車も色とりどりで、また、乗っている人たちのファッションセンスも良い方が多くなりました。

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同じく「虹の広場」ですが、「BD-1サイクリングクラブ」の名の通り、参加者全体の3分の2が
BD-1だったでしょうか。

アイデアをを考え、個性豊かに改造されたものに、マーカス氏は非常に興味があるようで、
写真を撮ったり、盛んにオーナーに聞いてみたりしていました。

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マーカス氏はサービス精神も旺盛な方で、参加されたBD-1のほとんどの自転車に
サインをされていました。

確かにこのBD-1 のデザイナーのサインとは夢のような出来事かもしれません。

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途中葛西のローソンでお弁当の調達をしたりして、午後12時15分ごろ終着の
葛西臨海公園に無事到着です。

三回の休憩を含めて約3時間余りのサイクリングでした。

思い思いに席を取り、たっぷりの時間をとっての食事会も、これも楽しいものでした。

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午後1時40分、マーカス氏を囲んでの解散の挨拶です。

本当に楽しいひと時でした。マーカス氏の笑顔、水谷社長のユーモア、
そしてこのサイクリングクラブの主催者である、オノさん、幹事のサイゴンさん、
その他の方々大変お疲れさまでした。

有難うございました。

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葛西臨海公園駅からは輪行で帰る人、再び同じコースを戻る人と、ここで分かれます。

私も今朝の集合場所の浮間舟渡駅まで思い切って走ることにしました。

真冬に来た時とは荒川の流れも違うようになぜか思われます。

水ぬるむと言いますが、水の色も流れも、とっても穏やかに見えるのです。

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荒川河川敷に点在する野球場、ゴルフ場周辺の木々も早いもので、うす緑色が
霞みのように、やわらかに眺められます。

日中あれほど多かったサイクリストも、午後3時を過ぎますと、このコースも
めっきり少なくなりとても静かです。

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今朝の出発点、浮間公園はこの荒川の土手を下ればもうすぐ目の前です。

私は自転車と言えばほとんどが単独行で、滅多に一緒に走ることはありませんでした。

今回のように50人、60人で走るなんて初めてでしたが、今ここで思うのは、
大勢なら大勢で、これもまた、面白いものですね。

その楽しさ面白さがあるから、このように毎回大勢の人が集まるのでしょう。

とっても良い思い出になりました。

また機会があればぜひ参加したいものです。

実は私は花粉症で今最悪の状態で参加しました。

自宅まで自走はとても無理で、浮間舟渡駅からは輪行で帰りました。

この日の走行は、89。3キロでした。


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2005年3月14日

これがゴールド免許証 ?

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先日久し振りに昔からの友人達と、ちょっと大きな居酒屋で飲む機会があった。

しばらく逢っていないだけに、話はあっちに飛んだり、こっちに飛んだりとしていたが、
そのうちに車の話になり、免許証の話にまで広がっていった。

5人も集まれば、とかく何かに付けて、自慢話をしたがる人もいるもので、
その晩は一番の年長者がそれに当てはまっていたようだ。。

「こないだねー 俺、免許証の更新に行ったらさー やっぱりゴールド免許証に
なっていたね 嬉しかったなぁ 今までそんなの取ったことないもん うん 
5年間無事故 無違反さ だからね駐車には気をつけたね 向うに駐車場がないところには
車で行かなかったりね 高速だってさぁ 絶対に捕まらないようにして走ったさ」

私の正面に座っているその人は、ウーロンハイを片手に持ったまま、しゃべり続けている。

「ゴールド免許証は要するに 違反をしない真面目の積み重ねに対する褒美だね 
第一ゴールド免許証を持っていると更新が30分位で終るんだって 早いよな 君達はどうなんだ 」

「大体 俺はさ 君たちがまだ持っていないうちにさぁ 何でも買っていたよな 
ビデオカメラがそうだったな 洗濯機だって全自動にしたのも家が一番早かった 
あ そうそう 乾燥機だってそうだったな」

我が家には、いまだにビデオカメラがない、全自動もない、ましてや乾燥機なんて
考えたこともない。

酔いが回ってきたのか、ますます饒舌になり、ウーロンハイを飲む暇もないほど、
しゃべり続けるのを見ながら、私は

「・・・ ゴールド免許証かぁ  綺麗なものだろうな 裏も表も金ぴかでさ 金色だもんなぁ
 ゴールドカードだもんなぁ ・・・・」 と胸の中で思い描いていた。

ウーロンハイをようやく一口飲んでテーブルにコップを置いたところで、

「そのゴールド免許証というのを今 持っているんですか」と聞いた。

「ゴールド免許証 うん 持ってるよ」

「まだ見た事がないんだけど ちょっと見せてくれますか」と私は笑いながら云った。

おもむろにジャケットの内ポケットから財布を取り出し、一枚カードを引き出して私に見せた。

「・・・・・・」

「これがゴールド免許証よ なかなか大変なものよ」

「これがゴールド免許証 ? }

「そうさ 」

「この柄なら私も持ってるよ !! }

「なんだい この柄ってよ !! }

「いま 出してみるよ 」

札入れの、いろんなカードのなかから免許証を取り出し、テーブルに二枚並べて置いた。

他の連中が 「なんだい おんなじだょ」 って。

「あんた これいつ取ったの ? 」

「そうねぇ もう十数年前からこの免許証だったなぁ これって普通免許証だとばっかりずーっと
思っていた」

事実、自分ではまったくこれがゴールド免許証だとは知らなかった。

人とくらべる事もないし、それにこれは何だ !! 薄汚れたような黄色の線一本。

ぜんぜん金ぴかでなく、私の思い描いていたあの輝くゴールドカードとは余りにも
違いすぎている。

それにしても十数年前、これを手渡してくれた、あの警官、なぜひと言これがゴールド免許証だと
言ってくれなかったのだろうかと、今はもうすっかり静かになった先輩を見ながら思った。


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2005年3月 8日

歌舞伎とイヤホンガイド

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国立劇場

3月7日、東京三宅坂にある国立劇場の花形若手歌舞伎「本朝廿四孝」を
見てきました。

一方、今、歌舞伎座では、十八代目中村勘三郎襲名披露公演が、目いっぱいの
華やかさで行われていますので、こちらの国立劇場の入りはどうかと、案じながら
行ってみたのですが、やはり何となく寂しいです。

全体で7割の入りはどうかというところでした。

さて、その芝居の内容は、お客の入りとは関係なく見事な出来栄えで、
充分に楽しめるものでした。

中村時蔵さんを中心に若手の、のびのびとした役どころで、大変に品の良
い舞台になっていました。

難役といわれる八重垣姫の時蔵さんのうまさは当然でありますが、腰元濡衣を演じる、
片岡孝太郎くんのうまさが特に光ります。

堀越高校の頃より見ていますが、30を過ぎてからの、この5・6年の精進の高さには
定評がありますが、特に世話物の若女房などをやらせると、どうしてこんなに
上手なのと云いたいくらいうまくなりました。

片岡仁左衛門さんの子息だけに芝居勘の血筋の良さというものが、
ここに来て出てきたのでしょうか

今回は久し振りにイヤホンガイドを借りてみました。

歌舞伎の進行に合わせて解説者が、その内容について易しく分かりやすく、
説明をしてくれるものす。

歌舞伎はよく言われるところですが、言葉が分からない、話がつまらない、
長くて退屈と、これらを一気に解決してくれるのが、このイヤホンガイドです。

実に分かりやすく、義太夫の言葉まで、はっきりと言い直してくれたり、
役者の動きの意味、その役者の名前、屋号まで、芝居の邪魔にならないように
的確に伝えてくれます。

私がイヤホンガイドを借りたのは十数年ぶりのこと、最近はどういう感じなのかと
イヤホーンを耳に入れてみましたが、久し振りに聞く音の良さにまず驚きました。

以前は音を高くしますと、場内のザーッという雑音まで大きくなり、せりふも聞きにくい
ものでしたが、今は本当に澄んだ音で聞きやすく、これなら、これからはいつも
借りるかなと思ったものでした。

その音の悪い中でも、その当時のイヤホンガイドからは、随分いろいろな事を学びました。
解説者のひとり、小山観翁さんは、特にお話好きで芝居の途中で、ちょっと脇にそれて、話をされる事があり、たとえば「家紋」について話をされた事があります。

昔は字の読めない方が多くいて、そのために図柄によって、その店を表していたそうです。
尾張屋なら、尾張屋の独自の図柄を作り、店先の大暖簾にそれを現したり、店の看板に描いたり、また、提灯にも描き、誰が見てもその柄で、ああ尾張屋さんだとなったそうで、その柄が後に「家紋」になっていったとのことです。
字が読めなくても絵で分かる、実に合理的な表現方法であったわけです。

そのほか数え切れないほど、イヤホンガイドから学びました。
今回も篠笛、織り袴など、分かっているようで分かっていない事が、たくさんありました。

江戸時代は、歌舞伎芝居から礼儀作法、言葉遣い、人との接し方などを学んだそうです。
今は、もう一歩進んで、イヤホンガイドから、わかりやすく、人の生き方までを学ぶようです。

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2005年3月 4日

「イムジン河」とハーモニカ

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家人も寝静まり、ワンコロもすでに寝て、ようやく静寂が訪れる頃、おもむろに一本の
ハーモニカを私は手にする。

すでにここで書いた事があるが、ハーモニカは子供時代からなじんだ楽器である。

さまざまな楽器をやってはいるが、とりわけハーモニカは何十年と吹き続けてきただけに、
他の楽器をやる時のような気負いがまったくない。

持つ手に同化しているようでもあり、手の一部のような気さえする。

だが吹けば吹くほど奥が深いというか、たかがハーモニカと言っては
余りにもその言葉は軽いと思う。

静かに更けていく深夜に、今、心を込めて吹いている一曲がある。

北朝鮮で1960年代に作られた曲「イムジン河」である。

イムジン河、昭文社の「世界地図帳」では、イムジンカン (臨津江)と、なっているが、
人によってはリンジン川とも言っている。

1968年に、ザ フォーク クルセーダスによって、東芝から一度は発売されたが、
会社の韓国への配慮、北朝鮮からの出所の明記の要求などで発売中止の経緯がある。

時は過ぎ、2001年NHK紅白歌合戦で、キム ヨンジャさんの、新バージョンの熱唱で、
再び日の目を見ることになった。

朝鮮半島の南北にわける軍事境界線に沿って流れる、大きな川「イムジン河」、
その流れに託して、南北の分断の悲しみと、ふたたび祖国の統一に願いを込めて
歌われる名曲の「イムジン河」。

そのメロディの美しさと、原詩の持つ胸を打つ心の叫び、この歌がもっと大きく
広がることで南北の対話と統一への理解とが深まればとの思いが私にはあります。

      イムジン河

   朴世永 バク せヨン 原詩
   松山 猛 訳詩
   高宗漢 コ ジョンハン 作曲

  イムジン河 水清く とうとうと流る
  水鳥自由に群がり 飛び交うよ
  我が祖国 南の地 想いはるか
  イムジン河 水清く とうとうと流る

  北の大地から 南の空へ
  飛びゆく鳥よ 自由の使者よ
  誰が祖国を二つに分けてしまったの
  誰が祖国を分けてしまったの

  イムジン河 空遠く 虹よかかっておくれ
  河よ想いを伝えておくれ
  ふるさとを いつまでも 忘れはしない
  イムジン河 水清く とうとうと流る

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2005年3月 3日

中村勘三郎襲名披露本日初日

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3月3日、東京、歌舞伎座はめでたくも、十八代目中村勘三郎が本日誕生であります。

名優中の名優、十七代目が亡くなってから、十七年目のことです。

先代は小柄な方でありながら一度、舞台に立ちますと、それは、それは、大変大きな
立派な役者さんでありました。

難役の「沼津」、「瞼の母」など、極まると本当にぽろぽろと涙を流しまして、
涙と鼻水で腰をかがめて泣くさまは、それ以上にお客も泣かせましたね。

私などもどのくらい泣かされたことでしょう。

新橋演舞場の楽屋口で素顔のお顔を拝見した事がありますが、小柄で色の少々黒い方で、
舞台からでは想像も出来ない思いでした。

さて、四百年続く中村勘三郎の名跡、平成の現代の勘三郎の、そのお披露目は
私も嬉しい限りであります。

役者衆の中でも抜群の人気と実力を兼ね備えた勘九郎さんでした。

「一本刀土俵入り」「身替座禅」「法界坊」、新作では野田版の「研辰の討たれ」
「鼠小僧」など、この人ならではの独壇場であります。

しかし、少々気が短いところもありましてね、もう、7年ぐらい前になるでしょうか、
毎年初夏に行われる「俳優祭」で、上半身裸で、歌舞伎座のロビーでお土産を売っていた
勘九郎さん、人気がありますから当然人がたかります。

そのうちの品物を買った女性客が、よしゃいいのに、ちょいと裸の背中に触ったんですね。
勘九郎さん、芝居もどきで 「なに しやがんでぃ!!」 ってそのお客さんの顔をめがけて、
買った品物を思いっきりぶつけたんですね。

場内は大変な騒ぎになったのは勿論のこと、翌日の新聞にも出たり、松竹は異例の
お詫びをしたりとそりゃあ賑やかな事になったことでした。

また、夜は銀座のバーで客と喧嘩したりと、芝居をやりゃうまいんだけど、
人間裏もあるものですね。

この癖がなきゃあ、いい男なんですが。

先日の七之助くんの件でも、うん、親の子だと、まず思ったものでした。

それはさておき、まずはめでたい襲名披露、大入りが叶いますよう。

そして将来の期待の星、七之助、しっかりがんばれ !!

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2005年3月 2日

丸紅の河津桜

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2月28日の河津桜

今年も皇居前にある竹橋の交差点角の丸紅本社ビルの河津桜が、
見頃を向えている。

知人にここにあるのを聞いてから、毎年見物に行くのが、もう慣例になっています。

例年2月20日頃に咲きそろうようですが、この河津桜は、他の桜より花持ちが
良いので、まだまだ咲き続け、一本は盛りを過ぎたとはいえ、残るあとの2本は
3月10日あたりまでは、充分に見られそうです。

プジョーで行って来ましたが、例のあの河津川沿いに咲く、河津桜の並木も
素晴らしいですが、この大都会の真ん中に咲く東京の河津桜も、又、ロケーションの
良さにとけ込み、本数こそ3本程ですが、これはこれで気軽に見られる美しい桜です。

道ゆくサラリーマンが、思わず見上げては、しばし足を止める人もとても多く、
この場にいると、きまって聞かれるのが「これは桜ですか?」である。

「そうです これが河津桜です」というと、「ホーゥ これがそうですか」と、
ほとんどの人が感心したようにうなずきます。

丸紅に伺えば、いつ誰が植えたのか、それも何のために、ここに植えたものなのか、
今ではまったくわからないそうです。

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