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2005年1月 4日

年賀状

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お正月も四日になりますと、年賀状の方も来るところからは来て、来ないところからは
来ないと (あたりまえですが) 、だいたいこのあたりで、思惑通りになって終わる様であります。

この人には年賀状は絶対に欠かせない、この人にも、この人にも絶対欠かせないと
思って出しても、案外その絶対から、年賀状が来なかったりする事があります。

あの人は大事な人だと思っているのは自分だけで、相手はぜんぜんこちらのことを 
大事じゃなかったわけです。
こういうつまらない事で、思わぬ人の心がわかったりして面白いものです。

年の暮れの内に、年賀状をきちんと出した人の名前を、小さな手帳に書いておくと
いうのは、もう随分前からやっています。

これをしておかないと、正月明けにさて、この人には出したかしらと、
分からなくなってしまうという、意味合いもありますが、それと、もうひとつ、
元日に頂いた年賀状の方の名前には、赤いボールペンで丸で囲みます。

二日目に頂いた年賀状の方は、その手帳に書かれた名前に黄色の丸印をつけます。

三日目は青印で、四日目に届いたのは、黒いボールペンで×を書く、そんなことはありません。

一方こちらが出さなかったのに、賀状が来てしまう場合がありますが、これは暮れの内に
やっぱり書いて出せばよかったなと思いながら、正月の二日か三日になってから、
出したりする事がありますが、その時は賀状を書きながら、何となく申し訳なかったような、
面目ないような気分になったりするものです。

だからと言って、けっしてその人を軽く見ているわけではないのです。

ただこの人とは、もういいよなぁ・・・・・ってことあるじゃない !!
 
團伊玖磨さんという作曲家がおりました。

音楽家でもあり、優れたエッセイストでもあった方で、なかでも「アサヒグラフ」に、
永く連載されました「パイプのけむり」は、知的なユーモアいっぱいの名随筆集で、
私も何冊も持っていたものでした。

そのなかで、年賀状について書かれていたのを、ふと思い出しました。

團さんは、お正月になってから、頂いた賀状を見ながら、年賀状を書かれたそうです。

「年も明けていないのに、暮れのうちから、おめでとうございますなんて、よく書けるものです。
それは新年早々から、大きな嘘をついているようなもので、誠にけしからんことです」

若い頃私もそれに共鳴して、それも粋がって、お正月になってから年賀状を書いたものでした。

でも、これだけは、やっぱりだめでした。

年賀状に三日掛かり、書き終わった時には、お正月も終わっていました。


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コメント

とってもよく判ります。
僕も昔、届いた賀状の分だけ出したことがありました。
理由はまったく同じで「パイプのけむり」です(笑)
ですが目上の方から先に戴いてしまう事があって、結局年末に出すようになりました。
今は目くじら立てず、なるたけ元日に届くように出しています。
でも今日も出していない人から十数枚届いたので無視するわけにもいかないので、年賀葉書を買ってきました。
また来年から枚数が増えちゃうじゃん・・・って、思いながら。

投稿: time@ | 2005年1月 4日 21時51分

time@さん こんばんわ
この年賀状というもの、暮れの気ぜわしい時にとっては、大変な負担に感じます。
しばらく前には、虚礼廃止などと云ったものでしたが、今はさっぱり言いませんね。
年賀状も面倒なものですが、でも、久し振りにハガキ一枚だけでも受け取りますと、その人の無事もわかる良い面もありますね。

最近は文面も宛先もパソコンが多いですが、昔、日大豊山の先生から言われました。
「君達はいくら偉くなっても、年賀状の宛名だけは、自分で書けよ。秘書がいたとしても絶対に自分で書くように」と言われた事があります。
秘書などいるわけもありませんが、そのせいでしょうか、今だに宛名だけは全部手書きです。

投稿: プッポロ | 2005年1月 4日 23時46分

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