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2005年1月31日

日大豊山 春の選抜出場ならず

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 1月31日の日大豊山

誠に残念ながら、今日、日大豊山の春の選抜、甲子園出場は夢と消えました。

秋季大会での修徳との決勝戦が、1対7という大味の試合、そして大差とあっては
少々無理だったのでしょうか。

それにしてもの、もう一歩だったのに、私達以上に選手たちにとっては、
大きく悔やまれたことでしょう。

結果は関東5校、東京1校で、東海大相模(神奈川)、浦和学院(埼玉)、甲府工(山梨)、
常総学院(茨城)、慶応(神奈川)、そして東京が修徳に決まりました。

さて、明日からまた、思いも新たに、この夏を目指して、自分の力で一歩一歩
勝ち進んでいこう !!

ガンバレ !! 日大豊山 !!

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2005年1月28日

日大豊山 春の選抜 桜咲くか

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わが母校、日大豊山高校が昨年秋に行われた高校野球、東京都秋季大会で
準優勝しました。

そしてこの春の甲子園選抜に、今、選ばれるかどうかというところであります。

秋の大会においては、都松原には11対0、都保谷には10対5、日大三には17対13、
準決勝には実践学園に7対0のコールドで勝ちすすみましたが、決勝戦で
修徳高校には残念ながら、1対7で敗れました。

2000年夏、夢の甲子園初出場以来、ますます実力をつけてきた感があります。

はたして出場なるかどうか、それは1月31日に決まるそうであります。

そして、ふたたび甲子園の、あの大きなアルプススタンドに満開の桜が咲くか。

日大豊山 がんばれ !!

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2005年1月26日

石神井公園 冬のたより

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自宅から自転車で20分あまり走ると石神井公園に到着です。
1月24日のことであります。

今は季節柄木々の葉も、すっかり落ちて見晴らしの良さは最高です。

ボート池附近には、大きなケヤキが立ち並び、手入れの良さもあってか、
静かで品のある大人の公園の趣が増してきたように思います。

手じかにありながら、こんなにも自然そのままの感じを残す石神井公園は
街中の貴重な空間であります。

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ボート池と三宝寺池は道路を隔てて東西に分かれています。

その車道を渡り三宝寺池の地域に入ると、樹木も深くなり、うっそうとした木々の
間の細い道を歩くようになります。

池をめぐる木道も気持ちよく、散歩する人、ジョギングする人、またバードウォチングを
楽しむ人と、さまざまに趣味趣向をこらした遊びが考えられるところでもあります。

今回はご覧のプジョーのクロスバイクでやってきました。

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東側にあるボート池にも水鳥がいますが、種類の多さでは、ここ三宝寺池の方です。

この時期には、水鳥がお目当てで、冬鳥といわれるカモ類が何種類か目の前で見られます。

こうして餌を持参で鳥に与えている人が何人もいます。
そばの立札には餌を与えないようにとありますが、心情的には少々あげても
いいようにも思うのですが。

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オナガガモ

今回の石神井公園には、その冬鳥を見に来たといってもいいでしょう。

この時でなければ見られない鳥も多いのです。
これはオナガガモ、ご覧のように尾がすっとのびて長いからオナガガモ、
実に覚えやすい名前です。

色の綺麗なのがオスです。

近年大変多く渡ってきているようで、ごく一般的に見られる鳥です。

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カルガモ

もうすっかりお馴染みのカルガモです。

他のカモと違って、オス、メスが同色で見分けはつきません。

カルガモどうしではどこで分かるのでしょうか。

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石神井公園 中ノ島

三宝寺池の中心部に中ノ島があります。

ここには人は入る事が出来ません。それだけに鳥たちの楽園とも言えそうで、
池のほとりなどにはあまり来ないカワウ、アオサギなどが生息しています。

この日もカワウが羽を大きく広げて乾かしていました。

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ホシハジロ

冬鳥として渡来します。
よく水中にもぐっては水草などを取って食べる習性があります。

オナガガモほど数が多くなく、沢山のカモの中でも、その色合いでとても目立ちます。

この日の石神井公園では、このオスだけでも約15羽ほどでした。

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キンクロハジロ

大変にかわいいカモです。

やや小型で後頭には垂れ下がった羽があり、ちょつとしたしゃれ者でもあります。

目が金色、色のデザインも白と黒でシンプルそのものです。

全長40センチで、ちなみに名前は目が金色、からだが黒っぽいところから、
キンクロハジロと言われています。

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マガモ

これも冬鳥として来ています。

首筋の白い輪が目立ちます。

以前はかなり多く見られましたが最近は少々少なく感じます。

この日は、なんと1羽だけ、ごくごく普通の冬鳥だったのですが。

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カワセミ

石神井公園で一年中で一番人気があるのが、このカワセミであります。

三宝寺池の脇にある小さな池を中心に活動し、この公園で生息もしています。

木道にはカワセミを写真に撮ろうとして、いつでも沢山の人が待機していますので、
すぐにその場所が分かります。
池の中に止まり木がありその下には、つぼも置かれ誰かが小魚を入れるのでしょうか、
そのつぼにダイビングしては餌を取っています。

一度止まり木に止まると割合長い時間、2分から3分ぐらい止まっています。

デジカメのデジタルズーム9倍で撮りましたが、これで精一杯です。

カワセミの背中のブルーが見えるだけです。

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ハシビロガモ

これも冬鳥として来ています。

口ばしが横に広いからハシビロガモ。全長50センチで大型です。

大部分が冬に来ますが北海道では少数繁殖しているのもいるそうです。

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バン

これも変わった色合いです。

全体が黒っぽく、口ばしと、ひたい部分は赤で、その口ばしの先端が黄色という
何ともオシャレな鳥であります。

石神井公園では一年中いますが、それほど多くはないです。

池の真ん中にはあまり行かずに、水辺近くの草地などで餌を取ります。

口ばしが白いのは、オオバンといいますが、この日は出てきませんでした。

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コガモ

これは小さな冬鳥です。

色合いが茶色、緑色、そして黄色の線が入るとっても鮮やかなカモです。

これもごく普通に見られるものですが、この日はやや少なかったですね。

コガモのオスだけ見ても、10羽ぐらいでした。

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スケッチする方も多いのがこの公園の特徴でもあります。

なかには自分で描いた絵を売る人もいますが、買う人はいるのでしょうか。

私はここでは一度しか絵を描いた事がありません。

それも随分前のことです。並ぶようにして描くなんて、やっぱり嫌ですね。

ただ、絵を描く人が多いことはそれだけ風景がまとまっていると言うことでしょうか。

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厳島神社

昔から来ていてその存在は知っていましたが、これが厳島神社という名の
お社とは今回初めて知りました。

これからは見方が変わるかもしれません。

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大昔からあるお茶屋さんです。

結構いろいろなメニューがあるようですが、メインはどうも、おでんのようです。

散歩がてらに公園の景色を肴にしてビールにおでん。

これも良いですね。

ところで、いつも横目で見ているだけで、まだ、私は入った事がないのです。

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晴れたり曇ったり、夕陽に照らされた、今日のお供はプジョーのクロスバイク。

実に軽快な走りでした。

さて、次回は家で待っているBD-1を、久し振りに今度こそは連れ出してやりましょうかね。

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2005年1月23日

「オプティマス8R」が消える

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オプティマスは1889年スウェーデンに誕生する。

100年を越える業績と歴史の中から生まれた、ふたつの名品といわれる
ストーブがある。

それは、日本のアウトドアーズマンにも良く知られた、金色に輝く小さな筒型の
「123Rスベア」、そして、私も愛用している「8R」というストーブである。

使いやすさと品質の良さ、それに高性能で今なお人気があるストーブです。

その「123Rスベア」は残るものの、写真の「8R」は、この5月で製造中止になるそうです。

四角の箱に機能的に、おさめられたこの「8R」は底が広く、野外で使う時
安定が良く、火力も強く、随分と山登りのお供をしたものです。

スイスメタを二つに折りノズルの下に置き、マッチで火をつける。
40秒ほどでノズルが熱くなったところで、ハンドルを回せば、そのまま一気に
青く透明で綺麗な炎が噴出す。

ゴーッという独特なバーナーの音が辺りをにぎやかにさせる。

この音がうるさいと言う人もいるが、だが単独行などでは、この音が、ひとりのさびしさを
紛らわしてくれたり、又、元気づけてくれるようにも思える時がある。

それに、ホワイトガソリン注入式だから、少量残ったガスボンベが家で
ゴロゴロなんてこともない。

しかし、時の流れか、そのガスボンベを使う新製品が、今度この会社から出たらしい。

名品といわれた「オプティマス8R」の火が、今、本当に消えようとしている。

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2005年1月21日

プッポロとハーモニカ

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小学校3年の頃に初めてハーモニカを手にした。
兄が見事に演奏するのをみて、自分も吹いてみたかった。

母が兄に教えるように云っても、「ハーモニカは自分で練習するものだ」の、
一点張りで教えようとはしなかった。

一番簡単な「日の丸あげて・・・」を吹けるようになったのには、それほど時間は
掛からなかったように思う。

それからは面白くて明けても暮れても、ハーモニカの日々が続いた。

それは中学に入っても続き、よそのクラスにも知られるまでになった。

忘れられない思い出がある。

中学校での自分の卒業式の最後にハーモニカを吹いてみるかと、
担任の先生から云われた。

すごく嬉しかったように思う。

さっそく自分のレパートリーから、いろいろな曲を選んでみる。

そこで、どうせ吹くなら、やっぱり一番得意の、曲がいいかと思うが、その曲は・・・

「何を吹くんだ」と、当日聞かれたが曲名は云わなかった。

卒業式はとどこおりなく進み、ほぼ終る頃、自分の出番になった。

先生方は左右に一列づつ座っている。

その中央に立ち、一礼の後におもむろに吹き始めたのは「蘇州夜曲」であった。
  
   君がみ胸に抱かれて聞くは
     夢の舟歌  鳥の唄

「先生 これは蘇州夜曲ではありませんか」

「そうです これは たしかに 蘇州夜曲です」

「どうします? いいんですの?」

「だってしょうがないでしょう !!」

先生同士が、小声で話し合っているのが、良く聞こえる。

水の蘇州の花散る春を
      惜しむか柳が すすり泣く

ろうろうと、それは三番まで、たっぷり吹き続けた。

終ってから、大変な拍手喝采があったことは云うまでもない。


  プッポロのハーモニカ

上のは、トンボハーモニカ、28穴 複音ハーモニカ 21・5センチ。

ジャズから演歌まで、オールマイティに澄んだ音が楽しめます。

この28穴は昨年をもって製造中止になり、今や貴重なものになりました。

中のは、ドイツのホーナー製、12穴 クロモニカ270 14センチ。

レバーの操作によって半音が出ます。

ジャズからクラシックまで、すべて演奏可能ですが、多少慣れと練習が必要です。

複音と比べて音質が渋く濁った感じが、ブルース、ジャズに向いているのかもしれません。

手前のは、トンボハーモニカ、10穴 エアロリード 10・3センチ。

ブルースハーブとも云われるもので小さいです。

音質はクロモニカ270ににています。

この形のものはロック歌手などに人気があり、長渕剛さんが使っている事でも
知られています。

いずれにしても、数ある楽器の中でも親しみやすさではトップクラスです。

今までの年輩者の吹くもののイメージから、最近は若者に広がる傾向が
はっきりと見られます。

プロの演奏家に女性が多くなっているのも昔では考えられなかったことです。


    

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2005年1月20日

浅草 二十日正月

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大晦日 越すに越されず 越されずに越す

結局は越したわけでありますが、それも年が明けて早いもので今日は
二十日になりました。

昔から二十日正月と云って、正月の祝い納めの日として餅や正月料理を
食べつくしたり、飾り物を納めたりする日として定めていました。

今では正月気分もせいぜい元旦から七日あたりまで、なんとも気ぜわしい
お正月になりました。

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私の生まれ故郷の浅草はそれでもまだまだ、正月の名残が続いています。

仲見世に掛かる若手歌舞伎の亀次郎 愛之助 獅童 七之助 門之助の
名札が賀正の文字と共にういういしい。

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昨年の暮れに浅草寺正面の大提灯が新調されました。

製作は関西とか。

奉納は東京新橋組合。

云わずと知れた、新橋の芸者さん達とその関係者によるもの。

提灯の字も同じ新橋でも新橋が違い志ん橋と書く。

下町ならではの洒落た感覚、粋なものであります。

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2005年1月19日

雪の長瀞 蝋梅見物

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1月17日、私のクラブ「小さなハイキング」で、長瀞散策と宝登山の蝋梅見物を
行いました。

その写真の一部をここにご紹介致します。

先日の15日、秩父は久し振りの大雪に見舞われ、花の長瀞から、雪の長瀞へと背景が、
ぐるりと回っての舞台のようで、乗合船から、たて縞の着ながしに手ぬぐいほっかぶりの、
粋な若衆が出てきそうな風景が見られました。

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岩畳が広がる中にひとすじの流れが見られます。

薄氷の張るところをみると、その水の流れはごくごくゆるい流れのようです。

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この時期になりますと、駅などで宝登山神社とともに蝋梅のポスターを目に
する事が多くなります。

花の少ないときに咲く花は恵まれています。
どちらかと云えば、あまり目立たない、質素な小さな黄色の花の蝋梅に
これだけの大勢の人が集まる。

蝋梅さま様の宝登山ロープウェイーかもしれません。

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5分の空中散歩のロープウェイーが終われば、497メートルの宝登山山頂です。

寒いこのとき、今、早咲きの梅と蝋梅が見頃を迎えています。

秩父でもこの辺りは比較的暖かいのだそうです。

青空に寒さに負けずと早咲きの梅の花がほころびます。

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枝先に小雪が残る白梅はなんとも気の毒です。

咲いても雪で目立たない、多くの人々は紅梅ばかりについ目がいくようです。

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宝登山からの秩父の名山、両神山のはるかな眺め。
名山と云われていながら、アプローチの長さから、まだ登った事が無い。

遠くに見える憧れの山です。

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蝋梅には、和蝋梅(基本原種 花が小型) と、素心(そしん 和蝋梅よりやや大きい。
そして満月(花がもっとも大きい)の、この三種あるそうです。

どうやら、これが満月のようです。

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雪に埋もれた蝋梅。

この雪の中、細い道には観光客が溢れんばかり。
ロウ細工のような小さな花、確かに上品な姿と爽やかな香りに人気があるようです。

400株、2000本の植栽であります。

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遠くは奥多摩から奥秩父の山々が望めます。
その下の左には荒川の流れ、紅梅と山と雪と青空と。

宝登山蝋梅園からの真冬の眺めです。

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2005年1月17日

人形が生まれる時

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趣味で作られている方から、このお人形をいただいた。

細部にわたって実に細やかに作られているのには感心した。

釣り人の腰に付けているびんごは、細い竹を使っているが、底には小さな
木を細工して、ふさがれているのには驚いた。

一見では、そこまで見えないのに、きちんと底をつける、これがこだわりというものだろうか。

少女が明日の天気を下駄を投げては占っている。

その下駄の鼻緒の紅白と、髪飾りの赤がきいている。

このお人形の作者と山を歩くと、道端の何気ない小枝を拾い上げ、なにやら
創造の世界を楽しむように、それを見つめる時がある。

ただの木っ端と思える様な物でも、この人の手に掛かると、そこから作られる物に
生命すら宿るがごとく、もう手放せない魅力が生まれる。

それは心をこめて作る技の中に、指先を通して、まぎれも無い心までも
乗り移るのかも知れない。

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2005年1月16日

プッポロとニコン

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第一番に軽いこと、そしてシンプルなこと、レンズもそこそこに明るいこと、これを
基準にして選び、、そのすべてを叶えてくれたのが、一眼レフの「NikonEM」であった。

使い続けて20数年になる。

6年程前に裏ぶたの、スポンジ状のパッキンを、数寄屋橋のニコンサービスセンターで
張り替えただけの丈夫さだ。

「小さなハイキング」も今年で20年周年、このクラブでのセルフタイマーを
使っての記念撮影で、どの位の人達がこのカメラをじっと見つめたことだろう。

山の会もやっていたので、富士山にも、大好きな八ヶ岳、谷川岳にも、穂高、奥多摩、
秩父の山々と、数知れずの山頂からの雄大な眺めも、このカメラは満喫しているはずだ。

私の行くところすべてに同行しているカメラだ。

実に軽い、山登りにはこの軽さがなければならない。

複雑なメカも、山ではいらない。

レンズは50mmのF1・8が標準装備これだけで充分。

昔、アメリカの名は忘れたが、著名な写真家の話を読んだ事がある。

自分は50mm以外は使わないと言い、一生涯50mmのレンズ一本で通したという。

なぜなら人間の目に一番近い見え方をするから。

その写真を見る人間にとっても、一番素直な見え方をするからと。

若い頃というものは、このような話に感化されるもので、私も50mm一本やりである。

そばに置いてあるズームレンズ、頂き物だが使った事がない。

これからも手放せないプッポロの、大事なニコンです。

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2005年1月15日

プジョーとBD-1

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先日の荒川サイクリングコースは、購入してから早くも5年になる、フランスは
プジョーのクロスバイクで走った。

フランスの香り漂う、きれいな色彩と細身のおしゃれなスタイル、軽くてスピードも
そこそこに出る、お気に入りの自転車だ。

折りたたみ自転車のドイツ生まれのBD-1が、我が家にやってきて丁度1年になる。

とってもかわいい自転車だ。

電車にも簡単に乗せられることもあって嬉しい、嬉しいで、この1年こればかりで走り回った。

プジョーはそれを見て、なんと思ったか。

「この新らし好き者めが」、と見たかもしれない。

それとも、「ふん、じきに飽きるわさ」と、静かにじっとあきらめていたのかもしれない。

ここにきて、又、プジョーのお出ましが多い。

BD-1には内緒だが、走りが違う。

自宅から荒川まで、55分掛かったのが、プジョーだと45分で行ってしまう。

けっしてBD-1が飽きたわけではない。

ただ、久し振りにあの軽快なスピードが楽しみたいだけなんだ。

プジョーと出かける時、BD-1はとってもいやな顔をしているように思える。

ちょつぴり、やきもちを焼いてるみたいだ。

プジョーで出かける時、それがとっても気になる。

今度行く時は、BD-1が、まだ寝ているうちに、こっそり出かけようぜ。  

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2005年1月14日

万年筆のこころ

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池波正太郎さんは、「男を磨く」という言葉をよく使っていました。

人生の半分は運命的、残りの半分はその人間自身の問題と。

その池波さんの持ち物に対するこだわりは相当なもの。

すべて本物志向、万年筆ならモンブラン、ペリカン、シェーファーと紹介されるが、
勿論パーカーもお持ちだったと推測するが、それに続いて私の話で、誠におこがましいが、
私は写真のパーカーが大好きで、ほとんど文字といえばこれで書く。

買った当初は高い割には書きにくく、2年、3年とするうちに、どういうわけか、
良い万年筆はその使う人間に合わせてくれるらしく、今はめっぽう使いやすい。

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2005年1月13日

禁断の木の実に手をつけた

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サイクリング中の飲酒などは、もっての外と、自己に厳しく戒めていたのに、
レストラン「さくら」の、このビールの旨さよ。

その快楽も永くは続かず、帰りのぺタルの足の重さ。

まるで鉄の玉がついた鎖の足かせを巻かれたようだ。

天罰てきめんとは、このことか。

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2005年1月12日

コールマンの赤いランタン

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本屋さんが届けてくれた「BE-PAL」2月号は、「アウトドア達人111人のお宝道具拝見」と
いう記事の特集です。

111人も揃えばさまざまな品物、道具が展開され、それぞれに物の見方の違いまで
推し量られてこれも又面白い。

その中で昔から夕陽評論家と自ら名乗る油井昌由樹氏が、ご自分のコールマンの
赤いランタン200Aを紹介されています。

長きにわたって使い込まれたのか、その汚れもひとつの歴史を物語っているようですが、
それにしても、ガラスのホヤぐらいは、お掃除なさったらと思うほど薄茶色に曇っている。

折角の明かりがこれでは台無しというものです。

油井昌由樹氏は34年前の、1971年に初めてアメリカでこのランタンを見たそうです。

写真の私のコールマンの赤いランタン200Aを、買ったのは25年ぐらい前だったと思う。

八ヶ岳の編笠山の山麓、標高1250メートルに、小さな、小さな山小屋を建てた時です。

実は山小屋の名前も「プッポロ」なんです。

まだ20代の頃でした。

よちよち歩きと、跳ね回る男の子ふたりを連れては夜、コールマンを照らし深い森の中を
歩いては怖がらせたものでした。

このコールマンの明るさは100ワット以上と云われ、100メートル先で新聞が
読めるというのが売りもので、私も山でやってみましたが確かに読めました。

今日コールマンジャパンに問い合わせしたところ、修理をしてくれるそうです。

近々松戸のコールマンアウトレットに持って行きます。

ふたたび、あの輝きがよみがえりそうです。

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2005年1月10日

小森和子さんと淀川長治さん

お正月も明けて一週間が過ぎた8日の日に映画評論家の小森和子さんが、
お亡くなりになりました。

95才だったそうです。

この小森和子さんからも、随分といろいろなお話を伺いましたが、この方と
切っても切れない方がいらっしゃいます。

そうです。大先輩の淀川長治さんであります。

今回はその小森和子さんの思い出と共に、淀川先生の思い出を少々ここで
書かせて頂きたいと思います。

私がまだ日大豊山高校の頃の事ですから昔の昔のその又昔のことであります。

当時、銀座3丁目の松屋裏にパルプビルという建物があり、現在では紙パルプ会館と
いっていますが、そこで、映画雑誌「映画の友」のファンクラブの例会が開かれていました。

正式名は「映画の友の会」といいましたが、その会の私は会員でした。

月に一度の例会も10人前後から15人程の少人数の参加者だったと思います。

当時、雑誌「映画の友」の編集長の淀川先生が毎月来られて、公開中の映画の話、
映画の見方、楽しみ方などを中心に、又ご自分が見てきたこと、思ったことを面白く
お話されるのが常でした。

私たちは一応先生と云っていましたが、すこし上のお兄さんという感じで、まったく
違和感はありませんでした。

その話の中でも、映画に対して、けっして悪くは云いませんでした。

どんな映画でもどこかいい所がある。そこに気がつき、又、見つけられるようにと
良く言っておられました。

そして人の悪口を絶対にいわない方で、誰に対しても接し方がまったく同じでした。

また、すべてのものに興味を持ちなさいと、歌舞伎にも、文楽にも、オペラにも
また絵画にもとよく言われておりました。

私の歌舞伎好きも、絵画も、音楽も実はこの辺からきているのです。

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平成10年11月12日付 朝日新聞夕刊 クリックで拡大されます

この例会にもうひとつの楽しみがありました。

例会の後に、近くの東劇の地下にその当時、20人か30人ほど入れる試写室があり、
そこへよく連れて行って下さいました。

ロバートミッチャムの「見知らぬ人でなく」 ( ? ) などはここで見たものです。

淀川先生はものすごく人なっこく、いつでも人のどこかに触っている感じで、
すぐに人の肩に手を回して抱くんですね。

最初はびっくりしましたが、これがこの方の癖なんですね。

東劇に行く外でもそうでした。、

不思議なもので慣れると何でもないものですね。

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淀川先生が亡くなられたのは平成10年11月11日でした。

その時の朝日新聞は私にとりまして、大事な大事な宝物であります。

小森和子さんが例会に、時々見えるようになったのは、しばらくたってからのことです。

高校生の私にとっては小森さんのファッションも、お化粧も、まぶしいばかりでした。

一番の思い出はジェームスディーンが亡くなった時のことです。

例会で入ってくるなり、ジェームスディーンが亡くなっちゃったと、それはそれは、
いきなり大泣きされたことです。

私たちはどうしたらいいのか分からず、ただおろおろするばかりでした。

私たちに映画の面白さ、人生の楽しさ、さまざまな生き方を教えて下さった淀川先生、
そして小森先生共に偉大な教育者だったと思います。

又、このお二人にまじかに接する事が出来きました「映画の友の会」の会員だったことは、
真の幸せ者かもしれません。

あらためて、両先生に感謝したいと思います。

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2005年1月 9日

桜の見頃はいつですか

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  花の長瀞 あの岩畳。。。と歌にも歌われている秩父音頭。

その秩父、長瀞は桜の多いところであります。

あれは数年前の、2月の中ごろの寒い日のことでした。

「小さなハイキング」で、「長瀞リバーサイドお花見ウォーク」という事で、
4月に予定していて、その下見に歩いてまわったのでした。

秩父鉄道、親鼻駅から荒川に沿っての桜並木は、南桜通り、桜新道、北桜通りと
名がつく道が、約4キロにもわたって続きます。

川沿いの細い道から、岩畳を歩いたり、また、長瀞の駅近くからは街中の歩道もある
広い道を歩くようにもなります。

この時のコースの予定は、その広い北桜通りを歩き金石水管橋で、荒川を対岸に渡り、
日本一と言われる、歐穴を見て、秩父鉄道野上駅まで行く結構長いコースでありました。

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長瀞駅近くからその北桜通りの冬枯れの桜並木は誰ひとり歩く人もなく、
寒々としたものでした。

しばらく行くと、右手に小さな自分の家の駐車場でしょうか、帽子をかぶった男の人が、
この寒いのに車を洗っています。

丁度聞きたいこともあるので、その人のそばにちかずきました。

年の頃は45才ぐらいでしょうか。

自分の家の前が有名な桜並木ですから、この人に聞けば桜の満開の時が
わかると思ったのです。

「あのー すいません」

忙しそうに車を洗っていた人がこちらを振り返ります。

「すいません ちょつと伺いますが この辺の桜の見頃はいつ頃ですか」

急いでいるようなそぶりのその人は、初めて手を休めて。

「桜ねぇー そうだねぇ その年によってここも だいぶ違うんだなぁー」

持っていた雑巾をそばのバケツに放り投げて、。

「なに 桜の時にこようっていうの」

「ええ 今度皆さんを案内するもので、今日はそれで下見をしているところなんですよ 
聞く人もいないもので」

「そうかい 今日は特別ここも寒い日だよ ちょっと うちに入らないかい」

「ここが俺のうちさ さあ はいんなよ 寒くてしょうがないからさ」

帽子の男性は、その庭づたいに行き、縁側のガラス戸をあけて、
よっこらしょっとあがります。

「さぁ 早くあがんない 今日は誰もいないんだ ばあさんは病院でさ 
女房は今パートに行ってんだ 子供はもうじき帰るけどね 早くあがんなよ」

「 ? }

だって私は、桜はいつ頃咲くのかって、その見頃を知りたいだけなのになぁと、
もぞもぞしていると。

「今お茶沸かすからよ 本当に今日は特別寒いよ ほら荷物こっちに渡しな 
そうよ いいからあがんなよ」

いつの間にか私はザックを下ろし、靴の紐をゆるめ、座敷に座っている。

戸をしめても寒いうちだ。

天井を見る、かなり古い家だ、久し振りに平屋の家に入った。

仏壇の横の時計は午後1時半を指している。

台所で盛んにこまめに動く姿をぼんやりと見つめる。

「お茶入ったからね うまく入ったかどうか わかんないけどよ」

と言いながら、木彫りの丸いお盆に湯飲みがふたつ、それに急須を持ってきてくれる。

「おしんこ 食べるかい」

「おしんこ ? 」

「俺が漬けるのよ 俺漬物漬けるのうまいんだなぁ 食べる ? 」

「でも なんだか 急に来て 悪いじゃないですか」

「そんなこと無いよ じゃ今出すから待っててね」

ところで、桜の見頃はいつだろう。

「ほら これよ 野沢菜を漬けたのよ きゅうりもあるよ もう一杯お茶入れようかね」

桜はいつ咲くのかなぁ。

目の前の小さなちゃぶ台をはさんで、見知らぬ男同士が部屋の真ん中で
きちんと向き合って座っている。

この人はまだ帽子をかぶっている。

これから、まだまだ下見をしなければならない、何しろ次の駅の野上まで
行かなければならない。

いったい桜はいつ咲くんだろう。

「ところで桜はいつ頃、見頃になるんですかね」

「ああ 桜ね ちょつと待っててね 今さ その桜の満開の時の写真を見せるね 
探すから ちょつと待っててね」

押入れの襖を開けて中をのぞき込んで探してくれている。

「たしか この辺にしまったのに ねー探す時ってなかなか見つからないものだねー」

桜はいつ咲くんだ !!

「あったあった これよ このアルバムよ よかったねぇー」

「ああ ありましたか それはよかった」

「これ見てよ これ俺の娘よ 小学校に上がった時の写真よ 今じゃないよ 
今はもう中3だもんね」

そんなこと どうだっていいんだ !! 桜はどうなった 咲くのか 咲かないのか !!

「この桜がこれよ これ そこんとこの桜だよ うちの前で撮った桜だ 綺麗だろう 
だけどさ これは10年も前のもので 今はだめだね 町役場の連中がさ 
桜がある歩道を全部舗装しゃがってね 雨水が通らないのよ 水不足でもう随分
枯れちゃつたさ 前は歩道は砂利道だったんだ その時は良く咲いた 今は半分だね」

その知らない家で自分はお茶で野沢菜を食べている。

あー、もう2時を過ぎている。

「ここに日付けがあるよ 子供が書いたんだね 4月17日とある 満開はこの頃だったかなぁ」

「そうでしたか 私達もそのころを予定していました わかりました ありがとうございました」

「なに まだいいじゃないか」

「でも これから野上駅までまだ歩くんです」

「なに野上まで歩く そりゃ大変だ 1時間半はあるよ」

「でも 今日の下見で道を調べなくてはいけませんので」

「そりゃ 悪いことしたね」

「いや そんなことありません 頂いたお茶が本当においしかったです ありがとうございました」

「そうかね そりゃ良かったね 又来たら寄ってね」

「ありがとうございます」

縁側で靴の紐を結びながら、

「今日はお休みだったんですか」

「俺ね腰痛が前からひどくてね 今日はもう どうしようもなくてさ 今日はね 
会社休み貰ってね病院に行こうと思ってさ 外に出たらあんまり車が汚いものでさ 
少し洗って行こうと思って洗っているところにあんたが来たのさ」

「えーっ病院に行くところだったんですか」

「そうよ 今日はどうしても行ってこようと思ってさ そこえ あんたが桜はいつ咲くんだって
云ったわけよ」

「じゃー 病院は遅くなっちゃいましたね すいませんね」

「ううん いいんだよ もう病院終わっちゃってるもん」

この帽子をかぶった人はどういう人だろう。

特に寒かったその日の熱いお茶は本当にありがたかった。

歯にもしみるほど冷たかった野沢菜の漬物もおいしかった。

いっぺんの通りすがりの人間に、自分の事は後にして、ここまで接してくれることの、
心の広さ、大きさ、そして心の余裕。

私は勇気まで、この方から頂いたように思う。

野上駅のホームのベンチに、ただひとり座っている。

西の空は今すっかり茜色に染まり、まわりの山々は、その夕陽のシルエットに
黒々として、私の大好きな藤城清治さんの影絵のようだ。

今日の出来事を振り返る。

まるで夢の中のことのようだ。

綺麗な空を見ていると、まるで幕がひかれるように、すーっと電車がすべりこんできた。
 

 


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2005年1月 5日

横浜山手聖公会 哀れな結末

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昨夜(1月4日 )、横浜の山手聖公会教会から出火して、歴史的建造物と言われていました、
その建物が全焼しました。

その後、今日になって、23才の米国人男性が、放火の疑いで中区の山手署に
逮捕されました。

交番に出頭したそうですが、なんと、驚くことにこの男性は、この教会の信者だった
とのことであります。

住まいも上野町3丁目といえば、この聖公会教会から、直線にして約500メートルの
近くに住んでいたのです。

これは、考えてみれば、身内の犯罪であります。

キリスト教にたずさわる教会、そして信者すべてに衝撃的な出来事であります。

このまだ若い男性と牧師との間に何があったのか、牧師の日々の教会内での
信者に対する教えはどうだったのか、何があって、放火までになったのか、
これは解明されなければならないものと思います。

アメリカにおける、カトリックの神父と若い男性信者との疑わしい関係など、
実際にあるようで、それも割合多いとも聞いています。

しかし、結婚を認められている聖公会の牧師さんの場合などは、その様な事は
まず聞いた事がありません。

想像も出来ないこの事件のその原因はなんだったのでしょようか。

これから順次分かってくると思いますが、教会と言えば、こころの成長を
はぐくむ場でもあります。

そのこころの拠り所の教会の中でのこの不祥事。

思えば、牧師さんも、又、この23才の若い米国人男性も、共に哀れです。

  神様 あなたは この事を どう思われますか。


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「横浜山手聖公会教会」の火事

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1月4日午後6時20分ごろ、横浜市中区、山手本通りにあります、「横浜山手聖公会教会」
から出火して、鉄筋コンクリート造り、一部地上2階、地下1階建ての建物の内部を
ほぼ全焼したとのことであります。

1931年に、東京の旧丸ビルなどを手がけた米国人の建築家、モーガンが設計し、
イギリス中世期の建築様式として、横浜市の歴史的建造物に認定されているものです。

立教チャペルと同じ系列のイギリス聖公会に属しております。

私も何度かこの教会にも行っております。

上のスケッチは、この教会の前の公園から道路をはさんで望んだ風景として、
スケッチさせて頂いたものです。

異様な感じすらするこの建物が大好きだけに、今日のこの火事については
本当に残念に思います。

礼拝堂内部も重厚な雰囲気で、渋い落ち着きのある静かな感じでありました。

コンクリート造りだけに、内部だけ補修すればいいのか、それとも取り壊しになるのか。

とても心配です。

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2005年1月 4日

年賀状

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お正月も四日になりますと、年賀状の方も来るところからは来て、来ないところからは
来ないと (あたりまえですが) 、だいたいこのあたりで、思惑通りになって終わる様であります。

この人には年賀状は絶対に欠かせない、この人にも、この人にも絶対欠かせないと
思って出しても、案外その絶対から、年賀状が来なかったりする事があります。

あの人は大事な人だと思っているのは自分だけで、相手はぜんぜんこちらのことを 
大事じゃなかったわけです。
こういうつまらない事で、思わぬ人の心がわかったりして面白いものです。

年の暮れの内に、年賀状をきちんと出した人の名前を、小さな手帳に書いておくと
いうのは、もう随分前からやっています。

これをしておかないと、正月明けにさて、この人には出したかしらと、
分からなくなってしまうという、意味合いもありますが、それと、もうひとつ、
元日に頂いた年賀状の方の名前には、赤いボールペンで丸で囲みます。

二日目に頂いた年賀状の方は、その手帳に書かれた名前に黄色の丸印をつけます。

三日目は青印で、四日目に届いたのは、黒いボールペンで×を書く、そんなことはありません。

一方こちらが出さなかったのに、賀状が来てしまう場合がありますが、これは暮れの内に
やっぱり書いて出せばよかったなと思いながら、正月の二日か三日になってから、
出したりする事がありますが、その時は賀状を書きながら、何となく申し訳なかったような、
面目ないような気分になったりするものです。

だからと言って、けっしてその人を軽く見ているわけではないのです。

ただこの人とは、もういいよなぁ・・・・・ってことあるじゃない !!
 
團伊玖磨さんという作曲家がおりました。

音楽家でもあり、優れたエッセイストでもあった方で、なかでも「アサヒグラフ」に、
永く連載されました「パイプのけむり」は、知的なユーモアいっぱいの名随筆集で、
私も何冊も持っていたものでした。

そのなかで、年賀状について書かれていたのを、ふと思い出しました。

團さんは、お正月になってから、頂いた賀状を見ながら、年賀状を書かれたそうです。

「年も明けていないのに、暮れのうちから、おめでとうございますなんて、よく書けるものです。
それは新年早々から、大きな嘘をついているようなもので、誠にけしからんことです」

若い頃私もそれに共鳴して、それも粋がって、お正月になってから年賀状を書いたものでした。

でも、これだけは、やっぱりだめでした。

年賀状に三日掛かり、書き終わった時には、お正月も終わっていました。


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2005年1月 1日

明けましておめでとうございます

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   新年あけまして
          おめでとうございます

それぞれに素敵なお正月を、お迎えのことと思います。

皆様にとりまして、良い年になりますようにお祈りいたします。

さて、「プッポロ春夏秋冬」も、今年も、あちら、こちらと、各地を訪ね、時には自転車で、
また、時には足で、何かを尋ね、何かを追って、そして何かに、ふれてみたいと思っております。

今年もどうぞよろしく、お願い致します。

             平成十七年    元旦

                         プッポロ

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